決して古いタイプの武将ではない

主郭は周囲を、かなり高い土塁と深い堀で囲まれ、それだけでも圧倒的だ。

南側は土橋を渡ると、敵がまっすぐ進めない「喰違い虎口」が開かれているが(虎口とは城の出入口のこと)、土橋の前にも「馬出郭」がある。これは虎口を見えないようにするのと同時に、侵攻する敵の進路を何度も屈折させ、しかも、その敵を全方位から射撃できるという、きわめて完成度が高い防御の構造だ。

主郭は北側と東側にも虎口が開かれ、いずれも外側には、土塁がめぐらされた馬出状の曲輪がもうけられている。南側の虎口と同様に、敵の直進を阻んで周囲からの射撃にさらすための施設だ。この構造であれば、城兵がかなり少なくても徹底防御できる。じつに考え抜かれている。

主郭南側の土橋から、その外にもうけられた馬出郭を望む
筆者撮影
主郭南側の土橋から、その外にもうけられた馬出郭を望む。奥の馬出に兵を溜めておけば、土橋に近づいた敵をことごとく打倒できる。

主郭を囲む土塁の北東角には、方形の広い平面があって、礎石も残されている。天守かそれに類する櫓が建てられていたのだろう。

この主郭が、まさに柴田方の総司令部で、すでに述べた虎口の防御体制を含め、近世城郭の構造そのものである。古いタイプの武将というイメージがある勝家だが、築城術はすぐれていただけでなく、かなり先進的だったことがわかる。

主郭を囲む土塁と、北東角の櫓台(天守台)。
筆者撮影
主郭を囲む土塁と、北東角の櫓台(天守台)。

賤ヶ岳における勝家の戦略がよくわかる

主郭の北側を守る馬出郭の外には、扇形で城内最大規模の曲輪(郭2)がある。おそらくここには兵が駐屯し、物資が集積されていたのだろう。

この曲輪も土塁と堀に囲まれてはいるが、主郭にくらべると単純な平面で、東口に開けられた虎口は喰違いでない平虎口の前に、広い土橋が架かる。物資を運び入れやすくしてあったのだろう。この曲輪も含め、玄蕃尾城は総司令部である主郭を中心に、どの曲輪も役割が明確だ。それらが合理的に連携して、堅固な防御体制になっている。

城内最大規模の曲輪(郭2)の周囲をめぐる土塁と深い空堀。
筆者撮影
城内最大規模の曲輪(郭2)の周囲をめぐる土塁と深い空堀。

現在、樹木がよく伐採され、下草もこまめに刈り取られているなど、管理が行き届いている。このため、雪が積もる季節を除けばいつでも訪問しやすいうえ、城の構造が細部も全体像もつかみやすいのだ。つまり、柴田勝家がなにを考えていたのかが、この城を訪れると手に取るようにわかる。

おそらく勝家としては、この城ひとつで徹底的な防衛ラインが敷けている、という意識だったのではないだろうか。だったら、ほかの砦群はシンプルでもなんとかなる。