もし「習近平物語」が崩壊したら…
蔡論文をもとに習が最も恐れているものが何かを考えていく。それは三層から成る構造を持っている。
第一層は「正統性の喪失」である。
習の権力は、制度的正統性よりも「物語の正統性」に依存している。反腐敗の旗手、強い指導者、中華民族の偉大な復興の体現者などの架空の「習近平物語」が機能しているあいだは、権力への疑問は抑え込まれる。
だが、蔡氏のような人物が党内部から「その物語は虚偽だ」と論証したとき、権力の根拠そのものが揺らぐ。腐敗した幹部への批判は物語を補強するが、物語の前提への批判は対処不能だ。
習が知識人を通常の政敵以上に恐れていると言われる理由がここにある。
第二層は「エリート層の離反」である。
民衆の不満は監視と恐怖である程度封じ込められる。しかし、党・軍・知識人といったエリートの内側からの離反は、体制の機能そのものを瓦解させる。歴史上、権威主義体制の崩壊は、民衆の蜂起ではなく支配エリートの離反から始まることが多い。
ソ連崩壊でも、指導層が体制への信念を失った時点で、崩壊は一気に進んだ。蔡氏の存在は氷山の一角にすぎないと見るべきだ。
「歴史の敗者」には絶対なりたくない
第三層は「歴史的審判」である。
習は、毛沢東、鄧小平に並ぶ「建国以来最大の指導者」として歴史に刻まれたいという欲望を抱く。それが台湾統一への固執や個人崇拝の強要に表れている。蔡氏が「習氏の失脚」を予言するとき、習が最も恐れる「歴史の敗者」というイメージが立ち上がる。権力を失うこと以上に、歴史に敗者として記録される恐怖こそが、習の行動の根底にある。
蔡氏が論文の副題に「傲慢とパラノイア」という言葉を選んだのは示唆的だ。
パラノイアが生む悪循環は残酷である。恐れるほど粛清し、粛清するほど孤立し、孤立するほど正確な情報が届かなくなり、判断が歪み、失政が積み重なり、さらに恐れが強まる。このループは自己強化的であり、外部からの介入なしには止まらない。
では、習は何を恐れているのか。その答えは「真実」である。
ロケット軍のミサイルには燃料が入っていないかもしれないという真実。不動産バブルの崩壊が中産階級の資産を直撃しているという真実。沈黙は服従ではなく、内面化された怒りであるという真実。そして、習の正統性が当初から虚偽の物語の上に築かれていたという真実である。

