「学力も、行政家としての業績もない」

蔡氏はまず、中国共産党を三つのグループに分類する。マルクス主義にこだわる「左派」、鄧小平路線を引き継ぐ「中道派」、市場経済を重視し、立憲主義まで視野に入れる「右派」である。

習は左派に属し、蔡氏自身は右派に位置する。これは単なるレッテル貼りではなく、習が鄧小平路線からいかに大きく逸脱しているかを示すための分析枠組みだ。

蔡氏の筆が描く習近平像には容赦がない。習について「学力もなく、行政家としての業績もない」と断じる。農村下放から地方官僚へという経路をたどりながらも、政策立案能力を示す具体的な実績に乏しかったという。

蔡氏から見た習は、血筋の良さだけで引き立てられた太子党的出自だけで出世した人物に過ぎない。

ただし、習が勝ち残った理由は、そのたぐいまれなる「保身」能力にある。「身内を引き立て、対立しそうな者を失脚させ続けた」として、福建閥の形成と競合勢力の体系的排除を次のように辛辣に定義する。

「改革派と目されたが、結局改革など行わず、カルト的な個人崇拝に走った」

反腐敗の旗手として登場しながら鄧小平路線を解体し、個人崇拝を制度化していった過程を突いたのである。

そのうえで蔡氏は、「中国共産党の権力闘争はマフィア同士の抗争のようなものであり、そこでたまたま勝ち残ったマフィアのボスが習近平だった」と述べる。圧倒的な個性や能力で勝ち上がったのではなく、偶然担がれた派閥が勝利した結果にすぎないと酷評した。

傲慢な「ミスター間違い」は失脚する

蔡氏が特に強調するのは、習の統治スタイルに内在する矛盾だ。

「細かな政策にまで口を出すが、近しい者からの忠告も受け入れない」
「イエスマンだけを周囲に集め、独裁体制を築いた」

すべてを自分で決めようとしながら、判断を正確にするための情報が、もはや届かない。

これは、私が集めた情報とも合致する。習自身にはすでに「耳の痛い情報」は届かなくなっており、粛正と権力闘争が続く中、保身のために他人を蹴落とそうと、ライバルのネガティブ情報ばかりが上がっている状態にあると考えられる。

蔡氏はこの状態を「傲慢」と呼び、能力が伴わないがゆえに失政を繰り返す習を「ミスター間違い」と揶揄し、最終的に「中国の敗北と、習氏の失脚」を予言する。

この論文の衝撃は、国家主席への容赦ない批判にとどまらない。党幹部を養成する最高学府の内部にいた元教授が、これほど辛辣な分析を、実名で公にしたという事実そのものにある。

それは、水面下で同様の認識を抱きながら沈黙を余儀なくされている党内エリートが、決して少なくないことを示唆している。言えないのは、言えば粛清されるからにほかならないだろう。