蔡氏を決心させた2人の「死」

蔡氏はもともと、マルクス主義理論から出発し、党内民主主義を目指す改革派として長く活動してきた。江沢民政権下でのWTO加盟による世界との経済的協調路線を支持し、その方向性をさらに広げようとする立場にあった。

胡錦濤政権下で強まった権威主義的傾向に落胆し、続く習近平政権の強権的な統治に、次第に強い危機感を募らせていたものの、はじめから反体制だったわけではない。

転換点の一つが、2016年の「雷洋事件」だった。

中国人民大学で修士号を取得した環境専門家の雷洋(当時29歳)が、買春容疑で逮捕された後、移送途中に急死したという事件である。雷氏は河南省の貧しい地域出身ながら、抜群の成績で人民大学に進学し、環境分野の専門家として社会に貢献していた。

この逮捕を、当時多くの人々が濡れ衣だと考えた。「警察が功を焦るあまり、容疑を認めない雷氏に暴行を加え、死に至らしめたのではないか」という疑念が広がった。

それは蔡氏も同じだった。この事件を機に、党への不信をいっそう深めた。

「反習」への決定的な引き金となったのは、新型コロナウイルス感染拡大の初期に警鐘を鳴らしながら訓戒処分を受け、その後に感染して死去した武漢の医師・李文亮氏の死だった。

変質してしまった共産党への絶望

言論の自由を求め、一医師として声を上げ続け、人民の英雄となった李医師の死を目の当たりにして、蔡氏は、党内にとどまりながら批判を続けることの限界を悟る。アメリカへ渡ったのは、そのあとのことだった。

蔡氏の一貫した態度には、六四天安門事件の発端となった学生デモを主導した北京大学の学生たちと、同じ精神が宿っている。建党当時の理想と、現実の党とのあまりに大きな乖離に絶望し、もう一度原点に立ち戻らせようとした勇気ある北京大生など若者の精神的系譜を、亡命先のアメリカから引き継いだのである。

1988年5月、中国・北京の天安門広場にて
1988年5月、中国・北京の天安門広場にて(写真=Derzsi Elekes Andor/CC-BY-SA-3.0/Wikimedia Commons

蔡氏は亡命後も沈黙しなかった。『フォーリン・アフェアーズ・リポート』2022年9・10月号(日本版11月号)に掲載された論文「習近平の本質――奢りとパラノイアの政治」は、党中枢にいた人間だからこそ書ける、命がけの「内部告発」である。