教会が主張した「子どもの権利」
ヨーロッパではご存じの通り、長い間、イエズス会が教育の担い手でした。16世紀にイグナティウス・デ・ロヨラ、フランシスコ・ザビエルらが設立したこの修道会は以後250年の間に650の大学を建学し、無数の初等教育機関を運営し、ヨーロッパにおける学校教育を19世紀まで支えてきました。そのイエズス会が教育において追求したのは何よりもまず「親の懲罰権」の制約でした。これは中世から続く、教会の親権介入の流れを汲んだものです。教会は次のように主張してきたのです。
子どもは神が創ったものであるから、どんなことがあっても、よきキリスト教徒にしなければならない。両親は子どもを、自分たちの好きなように扱ってはならないし、殺してもいけない。神の贈り物にせよ、背負うべき十字架にせよ、両親は子どもを、自分の所有物のように酷使することはできない。
(同書、53頁)
これは子どもを甘やかす文化を持つ、私たち日本人にはいささか理解の届きにくい事態かもしれません。イエズス会士ルイス・フロイスは『ヨーロッパ文化と日本文化』で行った比較文化的考察の中で「親の懲罰権」に言及して、こう書いていますから。
われわれの間では普通鞭で打って息子を懲罰する。日本ではそういうことは滅多におこなわれない。ただ言葉によって譴責するだけである。
(岡田章雄訳注、岩波文庫、1991年、64頁)
いずれにせよ、「義務教育」という理念はこのような「親による懲罰」と「親と雇用者による子どもの収奪」を公的機関が規制することを目的として生まれたものであるという教育史的事実をまず確認しておきたいと思います。学校の機能は何よりもまず「親から子どもを守ること」にあったのです。
日本でPTAができた理由
だいぶ話が横道にそれてしまいました。教育において「それなしでは教育が成り立たないもの」は何かという問いについて考えていたところでした。
ここまでの話でおわかりいただけたでしょうけれど、学校教育に親は要りません。少なくとも、「公教育」の理念を歴史的に理解するならば、そういうことになります。
こんなことを言うと、「ふざけたことを言うな」といきりたつ親御さんがいるかもしれません。現に、保護者と教員とが共同して子どもたちを支援する「PTA」という組織がありますからね。でも、これは19世紀末のアメリカに発生した特異な組織で、アメリカ以外の国にはほとんど類似のものを見ることがありません。
そして、日本にPTAができたのはGHQの強い指導によるものです。GHQがPTAの創設を強く求めたのはなぜでしょう。論理的に考えれば、軍国主義教育を担った教師たちが引き続き教壇に立つ(そして今度は日教組の影響下にある)という状況の中で、「教師のイデオロギー的逸脱を父母が監視する」ということの有効性を重く見たからでしょう。私がGHQの人間だったら絶対そうしますもの。
このような保護者による教育支援(あるいは監視)組織はたぶん世界でもアメリカと日本だけにしかありません。「義務教育」というのは子どもを親の親権の及ぶ範囲から遠ざけるということが第一義であるという教育史的な「常識」は、日本とアメリカ以外の国々ではまだ通用しているのでしょう。

