非人道的な環境から子どもを守る方法
その頃、リバプールやマンチェスターの紡績工場の資本家たちは、孤児や貧困家庭の児童を国中から集めて、低賃金の重労働に就かせていました。炭坑のような危険な労働にも従事させられました。もちろん学校になんか行っていませんから、文字も読めないし、四則計算もできない。早くに酒や博打を覚え、少女たちは売春することを覚える。そして、重労働と不摂生と非衛生的環境のせいで、早くに死にました。
マルクスはこのような非人間的な労働環境から子どもたちを守るために「労働価値説」を展開するわけですが、同じ歴史的状況から「義務教育」という理念も生まれました。発生的には義務教育というのは、「両親と雇用者によるこうした権力の濫用」(同書、377頁)から子どもを守るための装置だったのです。
ですから、日本国憲法でも「義務教育」を定めた第26条のあとに、第27条3項では「児童は、これを酷使してはならない」とあるのです。「義務教育」はつねに「児童労働の禁止」とワンセットになって存在する制度なのです。
親が同意しない結婚は「犯罪」だった
フランスにおける親による児童虐待については、エリザベート・バダンテールの『母性という神話』(鈴木晶訳、ちくま学芸文庫、1998年)が詳述しています。
絶対王権の時代は「親が子どもを処罰する権利」を享受することによって家庭内が権力的に再編された時代でもありました。アンリ3世の告知(1579年)では「親が同意しない未成年者の結婚は誘拐とみなし、誘拐したものは死刑に処す」とされています。
「父親の懲罰権」はフランス革命に至るまで強化され続けます。1684年の勅令では「親に反抗した者、怠け者、放縦な者、放縦になりそうな者は(……)、男子はビセートルに、女子はサルペトリエールに、拘禁される」と定めました。
1763年のルイ15世の勅令は「家庭の名誉と平安を危険にさらす可能性のある行動に走った」若い男女に適用されたものです。「勅令は、そうした子どもたちをデシラード島(西インド諸島)の陸軍や海軍の管轄地へ流刑にする権利を親たちにあたえた。流刑地へ送られた子どもたちは、厳重に監視され、ろくな食事もあたえられず、苛酷な労働を強いられた。服役期間が過ぎると、悔い改めたものはマリ=ガラント島に土地をあたえられた。その後、親が希望すれば、フランスに連れ戻された」(同書、56頁)。

