高額年収の陰の自己尊厳破壊

藤沢が入社した当時、新入社員の年収は600万円~700万円だった。他社に入社した大学時代の同級生たちは、400万円~500万円。比較すれば、本来200時間の残業を70時間に抑えていたとしても高額だ。

年収だけで見れば、電通より上のクラスはあった。外資系金融機関が名をせていた時代であり、ゴールドマン・サックス、リーマン・ブラザーズや、コンサルティング会社のマッキンゼーなどは新入社員時代で年収が1000万円を超える者もいて、別格だった。

それでも、大学生が憧れる就職先のトップクラスで、内定を勝ち取ることも相当難しい電通に就職できたことは、自慢であり誇りでもあった。

しかし、自慢であり誇りであるべき電通は、楽園ではなかった。

〈電通に入れば、これまでの人生がすべてリセットされる。あとは幸せな人生が待つだけだ。ここが人生のゴールだ〉

そう信じて入社した。が、配属先では、全人格を否定され、自己尊厳を破壊された。

体育会系の人間であれば、それも一つの愛情表現であり、指導方法だと受け止めることもできたかもしれないが、藤沢にはそれが一番つらく、自身の精神にものすごい傷を負った。

電通「鬼十則」の行間にあったもの

2015年、高橋まつりさんが過労自殺したことで、過労体質の元凶と非難された「鬼十則」が注目を浴びた。

その第五条には、『取り組んだら放すな、殺されても放すな、目的完遂までは』などと過激な表現が並ぶ。それが独り歩きしたことで、高橋まつりさんのような悲劇を起こしてしまった。

高橋まつりさんの遺影とともに記者会見する母の幸美さん
写真=共同通信イメージズ
高橋まつりさんの遺影とともに記者会見する母の幸美さん=2025年12月24日午後、東京都内

藤沢にも思い当たることがあった。今すぐ眠りたい。帰りたい。そう思っていながらも、『取り組んだら放すな、殺されても放すな』という言葉を思い出せば、自分の命よりも目の前の仕事だと納得してしまう自分がいた。

本来、あの「鬼十則」には行間があった。以前は、その行間を教える先輩社員がいた。第4代社長の吉田秀雄も、裏では「睡眠はしっかりとれ」といっていた。だが、結局は体育会系の悪しき文化だけが残り、上から下に「仕事しろ」ということだけが伝えられている。「鬼十則」の言葉だけが残ってしまえば、「命よりも仕事が大事なんだ」と曲解して受け取られても仕方がない。

藤沢は、この「鬼十則」を完全否定するわけではない。むしろ、のちに起業し、成功することができた背後には、「鬼十則」という教訓があったからだと感謝している。

だが、時代の流れか、最近はあまりにも古臭すぎるとも思える。