「よい子」より「よい子に見える」ことが大切
いかがだったでしょうか。「長い間、一人でマジメに掃除をしていたジャイアンがかわいそう!」という声も聞こえてきそうですね……。確かに、その通りかもしれません。
ですが、これはスネ夫の「アイデア勝ち」です。現実の社会では、このような出来事は、むしろよくあることです。一度社会に出るとわかるかもしれませんが、世の中は世知辛く、ズルい大人たちがだまし合っている……と言っても、決して言い過ぎではありません。
大人たちがスネ夫ばかりをえこひいきするワケは、ズバリ、スネ夫が「よい子に見えるから」。ここで、本質的にスネ夫が「よい子」であるのか、そうでないのかは、まったく問題ではありません。そう他人に「見える」ことが大切なのです。
スネ夫は、「よい子」に見えたほうが生きやすくなることを知っているがゆえに、自分を「よい子」に見せかけようと振舞っています。これを心理学の用語で言うと、スネ夫はよい子の「ペルソナ」(※注)を演じている、と言えるでしょう。ペルソナとはもともと「仮面」という意味のラテン語ですが、そこから転じて「その場に応じた態度」のことを言います。
(※注「ペルソナ」…一般的には仮面、役割、役柄などの意味。スイスの精神科医・心理学者、ユングによって「外界に対する適切な根本態度のこと」と定義されている。)
現実の大人だって態度を使い分けている
私たちは、社会で生活する限り、「社会に適応した態度」というものを求められます。そのため、多くの大人は状況に応じたペルソナを使い分けようとしますし、子どもたちはそれを育てている過程です。
誰でも、小さい頃から周囲の大人に、よい態度はホメられ、そうでない態度は叱られて修正されてきたことと思います。たとえば「相手に笑顔であいさつされたら、こちらも笑顔で返す」といったごくカンタンな社会的習慣です。
このようなことを繰り返し、人はだんだんと「社会に適応した態度」、すなわちペルソナを作っていくのです。「空気を読めるようになる」と言い換えることができるかもしれません。
一方、ジャイアンは、まだまだ「よい子」というペルソナが作られていない状態です。「よい子のペルソナを演じると、えこひいきされて暮らしやすくなる」という認識さえ、まだ無い状態かもしれません。
当然、大人たちの目には、普段の素のままのジャイアンは、決して「よい子」とは映りません。むしろ、「悪い子」の部類に属するとしか思えないでしょう。だからジャイアンはスネ夫ほど大人たちにえこひいきもされず、好かれもしないのです。

