高校の部活に「聖地」は必要か
さらに言えば、甲子園をめぐる「美辞麗句」もかなり問題だと思う。
今夏もすさまじい猛暑が予測されているが、それでも盛夏に「夏の甲子園」が開催される。それは阪神甲子園球場が「高校野球の聖地」であり、夏の甲子園が「汗と涙の感動のドラマ」だからだ。
酷暑を避けるために試合開始時間をずらしたり、クーリングタイムを作ったり、7回制を検討したりと、日本高野連は様々な施策を打ち出している。外部からは「真夏に甲子園でやるのをやめればいい」「ドーム球場を使えばいい」という声が出ている。
しかし、夏の甲子園は高校野球の原点であり「聖地甲子園」は外せない。そう思う人が多いのだ。あえて言うが、たかが高校生の部活に聖地もへったくれもないはずだ。選手、観客、審判などを危険にさらしてまでやる価値などない。野球の言葉ということでいえば、メディアが煽り立てた大げさな感動物語の弊害の方がはるかに大きいのではないか。
対処すべき問題は他にある
今回の野球用語の見直しは、宮城県・名取北高校の「野球用語について考えよう」という探究活動がきっかけだという。近年、高校野球部による様々な研究活動が行われ、日本野球学会でも研究発表が行われている。
こうした取り組みは素晴らしいと思う。野球史を考えるうえでも誠に有意義だと思うが、これに短絡的に反応した宮城県高野連に問題があるのではないかと思う。
怖いのはこの野球用語の見直しが、一見「正論」にみえることだ。
「野球用語に使われている『死、刺、殺、犠牲、盗』などの言葉は『良くない言葉』ですよね」と言われれば、正面切って反論するのは難しい。
150年以上に及ぶ日本野球の歴史に鑑み、表層的な野球用語の見直しの議論が早急に結論づけられないことを望む。日本野球界は、この問題より優先順位が高いことが山積しているのだ。


