「富国強兵」の象徴

野球は公式には1872年にホーレス・ウィルソンという「お雇い外国人」によって、日本にもたらされたことになっている。以後、大学生を中心に爆発的に広がった。

文豪・夏目漱石の「吾輩は猫である」にも、野球に夢中になる学生の描写があるが、一方で、まだスポーツの概念がない当時の日本社会では、遊びにうつつを抜かす若者に、厳しい批判の目も寄せられていた。

「柔道の父」と呼ばれた嘉納治五郎らは、日本社会にスポーツを普及させるため、「スポーツは強い兵隊を作るうえで役立つ」と訴えた。明治時代の日本は富国強兵を国是としていたため、これを歓迎し、学校教育に体育という科目を創設するに至った。そうした経緯があったため、野球でも軍隊を想起させる用語が多数用いられたと考えられる。

太平洋戦争がはじまると、英語は敵性用語として使用が制限され、職業野球(のちのプロ野球)でも、ストライクは「よし」、アウトは「ひけ」、セーフは「安全」などの置き換えが行われた。

文字数の短縮に役立った

しかし敗戦後は、アメリカ軍を中心としたGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)が、戦後復興策の一環として野球を奨励したので、敵性用語の言い換えは使われなくなった。

プロ野球と高校野球が戦前を上回る人気を博し、多くのメディアがこれを取り上げる中で、「死」「刺」「殺」「犠牲」「盗」など物騒な日本語が入った言葉が、連日、新聞や雑誌をにぎわせるようになった。こうした言葉が多用されたのは、なんといっても「外来語よりもコンパクト」だったことが大きい。

例えば、

「ツーアウトフルベース、打球はセカンドへ。セカンドはホームに送球しサードランナーをフォースアウト。キャッチャーはサードに送球しセカンドランナーをタッチアウトした」

というシーンは、

「二死満塁、打球は二塁へ、二塁手は本塁に送球し三塁走者を封殺、捕手は三塁に送球し二塁走者を刺殺した」

と書けば、79字から49字に短縮できる。それだけでなく、短くなった分だけ一瞬のうちに繰り広げられるプレーの緊迫感が伝わってくる。日本語独特の表現文化として、野球用語は物騒な言葉をはらんだまま、ここまで生き延びてきたといえよう。