「フロリダで2、3週間暮らさないか」
ディマジオは毎日、病院へ見舞いにきた。そして、提案した。
「フロリダの俺の家で、気持ちが落ち着くまで2、3週間暮らさないか」
マリリンはうなずいた。マリリンは、プレスビテリアン病院で3週間の治療が終わると、ディマジオいるフロリダに向かった。
途中、ブルックリンでアーサー・ミラーの母親の葬儀に出席している。義理の父親であったイサドア・ミラーを慰め、アーサー・ミラーにお悔やみを述べた。のちにイサドア・ミラーは話している。
「彼女は退院したばかりだったが、今度は私が入院することになっていた。私が入院して手術を終えると、彼女は毎日見舞いに来てくれた」
フロリダには3週間ほどいた。ディマジオはマリリンを人影が少ないビーチに案内した。一緒に泳いだり、砂浜に絵を描いたりした。夜は静かなレストランで食事をとった。
フロリダで、ディマジオはヤンキースのコーチをしていた。マリリンもディマジオと一緒にヤンキースの練習を見に行った。彼女は手を振って応援した。ヤンキースの選手は、マリリンの声に、より一層、練習に熱が入った。
このとき、はじめてディマジオはマリリンを誇りに思った。そして、新婚当時、なぜ、それができなかったのか、自分が情けなかった。
マリリンを愛したフランク・シナトラ
1961年の後半、マリリンはフランク・シナトラの邸宅で静養している。2人は1955年ごろから親密だった。マリリンに本気になっていたのはフランク・シナトラだった。
マリリンとジョン・F・ケネディの関係は終わっていた。ケネディが大統領になると、CIAやマフィアの眼が厳しくなった。マリリンと会うチャンスはなくなっていた。
そこに現れたのが、ロバート・ケネディだった。ジョン・F・ケネディの弟で、ケネディ政権では司法長官を務めていた。ロバートは当初、ジョンのメッセンジャーに過ぎなかったが、マリリンと関係を持つようになった。
恋の復活と同時にマリリンの体力も戻りつつあった。子宮内膜症の治療のため、胆のう摘出手術も受け回復に向かっていた。
1961年前半の絶望的な状態から、少しずつ前向きな感情が芽生えてきた。マリリンはフランク・シナトラの邸宅で数カ月過ごした後、カリフォルニアに戻ってきた。
そして、1962年初頭に精神分析医グリーンソンのすすめでロサンゼルスに邸宅を購入した。マリリンは、最後まで、この家に住んだ。




