秀吉のささやかな“ホラ”が、いつの間にか史実に…

司馬としては、面白いフィクションとして語ったつもりなのかもしれない。なにせ小説家である。史実に忠実であることより、読者を興奮させることが本業だ。行軍が実際は一日23キロの、ごく普通の速度でした、では小説にならない。「秀吉が官兵衛の知恵をかり、軍勢と共に神業的スピードで駆け抜けた」のほうが、そりゃ筆も乗る。そこは責められない。責められるべきは、それを鵜呑みにした側である。

ハウは、ここまで司馬のフィクションが受け入れられた理由として、車と電車の普及につれ、長距離を歩くことがなくなり、1日20数キロを歩くこと自体が特別視されるようになったこともあるとしている。

だとしても、司馬の小説を史実と勘違いしたり、人生の参考にしたりするのは大藪春彦を読んで会社のオフィスで「ククク、俺は野獣だ」と犯罪計画を練ったり、平井和正を読んで「ついに幻魔が来るんですよ」と真顔で語っているのと変わらない。

そもそもの発端は、信孝に対して優位に立ちたい秀吉がついた、ささやかなホラだった。それが軍記物に取り込まれ、最後は小説家のペン一本で「日本史上屈指の神業」にまで押し上げられた。誰も嘘を検証しないまま、ホラの上にホラが積み重なって、いつの間にか動かしがたい史実の顔をして居座ってしまったのである。

紙面初登場は80年代、1996年の大河以降使われるように…

さらにハウ論文の検証は細かい。論文では『朝日新聞』の紙面を検証。そんな司馬が生み出したホラである「中国大返し」が初めて紙面に登場したのは1988年。その後1996年になり、大河ドラマに関連して再現イベントが開催、以降毎年のように使われる言葉になったとしている。こうして、ホラの積み重ねは史実として完成したのである。

これ、令和の現代とまったく同じ構造ではないか。誰かが盛った投稿が拡散され、次の人がさらに話を盛って引用し、気づけば出所不明のエピソードが「みんな知ってる有名な話」になっている。中国大返しは、いわば天正10年のバズり案件だった。秀吉のホラも、司馬のフィクションも、それを信じた我々も、SNSに踊らされる現代人と、何一つ変わらない。

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