「1日で姫路城まで」の無理筋

備中高松城から姫路までは約108キロ、光秀と決戦する山崎までは約230キロである。現代でこそ、新幹線なら駅弁を食べ終わらないうちに通過してしまう距離だが、当時は馬のほかは歩くよりほかはない。

ゆえに、行軍スピードに驚いてしまう。なにせ姫路城を目指すとして、備中高松城から沼城まででようやく3分の1(30キロ超)ほど。ここまで一日掛けて到達、悪天候で一日足止めされたのち、駆け抜けた。平地も多いが、備前と播磨の船坂峠付近はひたすら山道である。やはり、秀吉の信長への忠誠心が、逸る気持ちを抑えきれなかったのか。甫庵以降、これは秀吉の物語の中で、必ず描かれるエピソードとなった。

でも、やはりおかしい。道路が整備された現代でも「備中高松城から歩いて沼城まで行け」といわれたら難儀である。筆者なら吉備津駅(岡山県岡山市北区)あたりで「すみません、汽車に乗っていいですか?」と音を上げる。頑張っても、後楽園が見えたあたりで日が暮れそうだ。