信長から養子を得る=一族の将来を盤石にする

さて、ここで気になるのは、なぜ秀吉が信長の子供を養子としてもらい受けたかという点だろう。これについては、史料からは推測の域をでない。宮本義己「北政所の基礎知識」(『歴史研究』456号)では、おねが、実子のなかった家中の安泰を図るために信長に懇願した結果であるとしている。

確かに、一足飛びに出世した秀吉にとって、血族の少なさは不安でしかない。側室が産んだ石松丸が生まれた時には、上記のように砂金を振る舞うほどの喜びようだったにもかかわらず夭折してしまっている。長浜城主になったのは30代後半であり後継者の養成は急務だったといえる。

さらに、信長から養子を得ることは一族の将来を盤石にするものでもあった。日本史史料研究会の編んだ『信長研究の最前線 ここまでわかった「革新者」の実像』(洋泉社、2014年)に収録された、小川雄「信長は、秀吉をどのように重用したのか」は、次のように記している。