一人暮らしを満喫
アパート暮らしを始めた増井さんは、「私がいなくなったことで、少しは私のありがたみがわかるだろう。兄を困らせてやろう」と思い、しばらく実家に行かなかった。
自分の楽しみを作ろうとジムに通い始め、夫とスポーツのイベントに参加したり、夫と長女と三人で旅行を楽しんだりした。
「これも、子育ても終わり、気楽な身だからこそできる体験だと思い、悔しいながらも前向きに考えていました。実家より夫も泊まりやすくなり、ちょこちょこ来てくれるようになってうれしかったです。長女も家事などを協力してくれました」
兄の激昂事件から4カ月ほど経った2023年9月、増井さんは再び実家を訪れた。しばらくぶりの実家では、母親は1日2食、宅配弁当を食べていた。
「たぶん不自由していたと思いますが、兄や父は意地でも折れるようなことは言わない人たち。母の姿を見ていたら、『兄や父が何と言おうと、私は私の後悔のないようにやり切ろう!』と、揺れていた心が決まりました」
増井さんは、事件の前は母親につきっきりだったが、事件の後は朝2時間だけ実家へ行き、栄養バランスを考えた朝食を作り、母親に食べさせ、あとは自分の時間に充てることにした。
「楽しいばかりではないですが、マラソンをやり出したり、料理教室に通ったり、人生最後のチャレンジだと思い、働いてみたかったレストランやパン屋などで前向きに働き、アパート代を自分で払い始めました」
ジムの楽しさを知った増井さんは、リハビリに特化したデイケアを探し、母親に勧めた。見学に行くと、すっかり気に入った様子で、すぐに通い始めることになった。
父親の死と母親の救急搬送
2025年8月末。2023年末から老人ホームに入所していた94歳の父親が亡くなった。心不全だった。
「2週間くらい前まで、ホームから自宅に週1で帰ってきていたのに、入所から1年半くらいで突然亡くなりました。亡くなった朝、4時半頃に物音がしたので、『あれ?』と思ったのですが、その時が病院に呼ばれた兄夫婦が帰ってきた時だったようです。兄が(父の介護の)キーパーソンでしたし、父の遺体は即、病院から葬儀屋さんに運んだようで、私は何も聞いていません。だからその日も予約していた料理教室に出かけて、父と対面したのはお通夜の時でした」
父親の葬儀から2日後、母親は動脈瘤から2度目の動脈乖離を起こし、救急搬送。
「1年前にも動脈乖離を起こして手術をして、以降、経過を診てもらっている心臓と血管の専門病院は満室で、家から40分かかる総合病院へ運ばれました。母は87歳と高齢ではありますが、あまりにも突然でした。しかもまだ父の葬儀の花も枯れないうちです。兄、私、弟のきょうだい3人と、私の長女と、90歳の母親の姉は、祈るような気持ちで病院へ詰めていました」
救急搬送された病院で、母親は「余命2週間」と宣告され、2日後、経過を診てもらっている心臓と血管の専門病院に転院してカテーテル手術を受ける。その後は集中治療室に入った。
「転院先の専門医は穏やかに、『今回は家に帰れそうですよ。しかし、1年はもちません』と図を描いて説明して下さいました。とりあえずは最悪な事態を免れて、医師を拝みたい気持ちになりました」
母親は4日間の絶食、安静期間を経過し、ひとまずヤマ場は過ぎたようだ。幸い動脈乖離もいったん塞がり、普通に話もできるように。3週間後には退院することができた。

