文章を書くと「自己認識力」が高まる
また、人と会話するだけが、情報のアウトプットではありません。人と直接会わなくても、頭の中にあるものをアウトプットすることはできます。それは「文章を書く」ことです。
文章を書くためには、まず「何を書くか」を決めなければなりません。テレビを見ながらなんとなく始める家族との雑談などと違って、それなりの意思や意欲が必要です。その意味では、人との会話より少しハードルは高いかもしれません。でも、だからこそ前頭葉がより活性化するといえるでしょう。
意欲だけでなく、文章を書くには論理的な思考力や、構成を整理する計画性も求められます。自分の感情と向き合いながら書けば、自然と情動のコントロールを行うことにもつながります。さまざまな角度から、前頭葉に刺激を与えてくれるのです。
「日記」なら気楽に始められる
会話よりハードルが高いといっても、そんなに肩肘を張る必要はありません。とくに他人に読ませるつもりのない日記のような文章なら、気楽に始められるでしょう。日記なら、その日の出来事が材料と決まっているので、「何を書くか」もそんなに迷わずに済みます。
日々の取るに足らない出来事でも、それについて文章にまとめようとすれば、そのとき自分の思考や感情がどのように動いたかを振り返ることになるでしょう。そういう「自己認識」は、まさに前頭葉の役割です。
実際、まだ前頭葉が発達していない時期の幼児は、自分の感情を外側から客観的に認識することができません。だから情動をコントロールすることができず、ひたすら感情に任せて行動します。「キレる年寄り」も同じ。前頭葉の萎縮によって自己認識の能力が弱まっているから、「いま自分は怒りの感情にとらわれている」ことがわからず、したがってそれを抑制することができないのです。
日記を書いている人なら、どこかで不愉快な人間と出会ったとしても「これは書くネタになるな」と思えるかもしれません。すると、家に帰って文章を書き始める前に、その時点で自分の感情を客観視できます。
「いま自分はすごく腹を立てているな。さて、どうしたものか」と、いったん落ち着くことができるので、キレて騒ぎを起こすことはありません。帰宅してから「今日はこんな腹の立つことがあった」とその顚末を文章にまとめると、それでストレスが解消されて気分がスッキリすることもあります。また、文章を書く過程で、怒った自分の側にも落ち度があったかも、などと反省することもあるでしょう。
書くことで自己認識力が高まるだけでなく、「書く」ことを前提に日々を過ごせば、思考や感情のあり方が変わり、人生は多角的で豊かなものになるのです。

