歴史を乗り越えて団結した代表選手たち
戦争と五輪という話題になると、1936年のベルリン五輪、いわゆる「ヒトラーのオリンピック」が頭に浮かぶ。「ナチスドイツのプロパガンダにオリンピックが利用された」とも非難される大会がなぜ実施されたのか。IOC側の論理を春日さんから聞いたことがある。
春日さんによれば、IOCにとっては、開催地がたとえベルリンでも、五輪開催中そこは「オリンピック(IOC)の町になる」という原則に基づいているからだという。しかし今回のW杯では、開催国の主権的判断がFIFAの大会運営より優先される場面が現実に生じた。
スポーツが政治を越える空間をつくるという理念は、今後も維持できるのか。今回のW杯は、その理想に不安な影を落としたとも言える。それでもスポーツは、その理想を掲げ続けてきた。
ここまで政治の暗い影ばかりを書いてきたが、一方で、今回のW杯によって知らされた世界の動き、新たな発見もあった。
優勝候補の一角スペインと0対0の引き分けを演じた試合で、カーボベルデという人口わずか52万5000人の小国の存在を知った人も多かっただろう。選手の大半は、旧宗主国のポルトガルやオランダ、フランスなどで生まれ育っているが、カーボベルデは歴史的に帰属意識が高く、彼らは“祖国”カーボベルデの代表として戦うことを望み、今回の快挙を成し遂げたという。
スーパーセーブを連発し、一躍世界的なヒーローになった40歳のゴールキーバー・ヴォジーニャ(本名:ジョシマール・ジョゼ・エヴォラ・ディアス)は、その中で数少ない地元生まれの選手だという。この国の存在を知って、アフリカ西岸に浮かぶ小さな島国に思いを馳せた人は多いだろう。これもW杯がもたらす交流の息吹だ。
対立を越えて人々を繋ぐサッカーの力
コンゴ民主共和国の「銅像」も話題になった。第1戦にはエボラ出血熱の隔離措置の影響で間に合わなかったが、次のコロンビア戦のスタンドに登場した“人間銅像サポーター”ミシェル・ンクカ・ンボラディンガ氏だ。華やかな赤いジャケット、黄色いシャツ、青いパンツで盛装した彼は、ベンチ後方の台座の上に立ち、試合中はまったく動かない。
コンゴ独立運動の英雄パトリス・ルムンパ氏になりきって、無言、無表情で試合を見つめ続けるのが彼のスタイル。その彼の存在をきっかけに、コンゴには「サプール」(世界一おしゃれな紳士)と呼ばれる若者たちがいることも知った。
JICAマガジンによれば、貧しいトタン屋根の住宅に住むサプールは、その街並みに不似合いな原色のジャケットやパンツに身を包んで教会の礼拝に出かける。それは、「もう軍靴は履かない」「綺麗な洋服を汚さない」、平和への強い意思の表明なのだという。
政治が人々を分断する現実がある一方で、サッカーは遠く離れた国や人々の暮らし、歴史、そして平和への願いに思いを巡らせるきっかけも与えてくれる。だからこそ、政治、ビジネスの思惑がうごめくW杯のスタジアムで、サッカーそのものが人々を純粋に導き、対立を越えた調和の願いを抱かせるのも意義は大きい。
6月29日(月)から始まったノックアウトステージの苛烈な勝負は、どんなシンフォニーを人々の心に響かせるだろうか。


