「FIFAワールドカップ2026」がアメリカ、カナダ、メキシコの3カ国共同開催で6月11日に開幕し、連日熱い戦いが繰り広げられている。作家・スポーツライターの小林信也さんは「イラン代表が置かれた状況は、スポーツと政治の難しい関係を映し出していた。それでもサッカーには世界をつなぐ力がある」という――。
サッカーグラウンドにサッカーボール
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政治の壁を乗り越えるピッチの真剣勝負

サッカーW杯2026北中米大会は、イランとの戦争をしている当事国(アメリカ)で開催される初めての大会となった。戦争の相手国、イランも参加している。グループリーグで互いに2位通過なら決勝トーナメント1回戦で両国が対戦する可能性もあった。結果的にアメリカがD組を1位通過、イランはG組3位だったが得失点差で及ばず敗退したため、直接対決はなくなった。

戦争を越えてイランが敵国アメリカで試合をし、もしかしたら当事国同士が対決する。私は、このような対戦の可能性こそ「スポーツの存在価値」があると考える。だが、現実はそれほど理想的ではない。

FIFAは出場権を得たイランの本大会出場を当然のように認めた。FIFAは過去にロシアを大会から除外した例もあるから、「政治や戦争の影響を受けない」としながら例外的な措置も取ってきた。だが今回は、イランが求めた「アメリカ国内からメキシコへの試合会場の変更」にも応じなかった。この点だけ見れば、政治状況に左右されないとするFIFAの明快な姿勢に敬意を感じる。

W杯サッカーはオリンピックと違って「平和の祭典ではない」と明言している。私は2002日韓共催大会前、ある雑誌に「W杯は平和の祭典だ」と書き、組織委員会から厳しく注意を受けた経験がある。平和を目的に大会を開くのではない。一見、平和に背を向けるような姿勢が、逆に「戦争当事国同士でも戦う」現実をもたらしている。

戦争の影響はスタジアムの外で起きている

グループリーグの戦いを終えた時点で、表面的には「戦争の影響は感じられない」と多くの日本人が感じているだろう。テレビで試合の実況中継や現地の光景を見る限り、戦争を想起させる光景はほとんどない。

だが実際には、影響がないわけではない。

出場資格の判断では政治的中立を貫こうとしたFIFAの姿勢には敬意を感じた。しかし、大会運営の段階では、その理念を十分に実現できたとは言い難い。

何より注視すべきは、アメリカ政府が「FIFAの“主権”を侵害している」という事実だ。

開催国は本来、FIFAの規定によって、「ビザや入国手続きの円滑化、差別禁止など人権配慮を含む運営環境を整える義務がある」。開催地に立候補し、決定した時点でこの約束が交わされている。しかし今回、アメリカは「FIFAやW杯の都合より国家の判断が優先する」という姿勢を鮮明にした。

イランは当初、アメリカ国内のアリゾナ州で直前キャンプをする予定だった。が、ビザ問題が解決せず、メキシコのティファナに変更せざるをえなかった。最終的にイランの代表選手にはビザが発給されたが、チームの幹部やサッカー関係者15名の入国を認めなかった。そのうち4人は後日、異議申し立てが認められたが、イランサッカー連盟の会長、副会長、メディアディレクターらはメキシコからアメリカの試合場に向かうことができなかった。