山頂に着いた瞬間、次の山を探す人生

アルベール・カミュは『シーシュポスの神話』を、奇妙な一文で締めています。

「シーシュポスは幸福であると想像しなければならない」と。

シーシュポスは、岩を山頂まで押し上げ、あと一歩のところで転がり落ち、また最初から押し上げる――それを永遠に繰り返す刑罰を科せられた存在です。終わりはありません。完成もありません。報酬もありません。それでもカミュは、彼が幸福だと想像しなければならないと言います。

なぜでしょうか。それは、山頂という“結果”ではなく、岩を押すという“行為そのもの”に意味を見出したからだ、と解釈されています。

私たちもまた、似たような構造のなかで人生を生きています。

目標を達成すれば、さらに高い目標へ。昇進すれば、より高い役職に。フォロワーが増えれば、もっと多くのフォロワーを。

山頂に着いたと思った瞬間、すでに次の山が見えている。これはドーパミンの性質とよく似ています。「もうすぐ手に入る」という予感のときに最高潮に達し、実際に手に入れるとすっと引いていく。そしてまた次の山を探し始める。

しあわせを感じるためのヒント

もし私たちが「山頂を登りきること」だけを幸福の基準にしているなら、満足は一瞬で終わります。

菅原道仁『わたしの脳のしつけ方 なぜあなたはしあわせを感じられないのか』(扶桑社)
菅原道仁『わたしの脳のしつけ方 なぜあなたはしあわせを感じられないのか』(扶桑社)

だからこそ重要なのは、「山頂を登りきること」ではなく、「自分が押している岩は、自分にとってどんな意味があるのか」を知ることです。

自分が押している岩は、誰かに評価される岩なのか。社会的に大きく見える岩なのか。それとも、自分が納得して押せる岩なのか。

他人の基準で選んだ岩は、重く感じます。しかし、自分の軸で選んだ岩は、たとえ同じ重さでも意味が変わります。

自分のしあわせを見つけるとは、岩の種類を競うことではなく、この一歩に納得できるかどうかを問い続けることです。

シーシュポスが幸福なのは、山頂を諦めたからではありません。自分の運命を明確に見つめ、それでもなお「これは自分の人生だ」と引き受けたからです。

私たちも同じです。他人の岩を追いかけるのではなく、自分の岩を選び、その重さを引き受ける。そのとき、「もっと欲しい」という焦りは、「いま、この一歩を大切にしよう」という静かな充実感に変わっていくのだと思います。

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