つまらなさを持て余している

書影
ジェーン・スー『おつかれ、今日の私。』(マガジンハウス文庫)

ならば、「なんのために生きているの?」が湧き上がってくるのは、「悲しいときや、つらいとき」なんじゃない? いいえ、そうとは限らない。悲しくても、つらくても、同時にうっとりと自己陶酔してしまう瞬間が私にはあるから。自己憐憫と言ってもいい。そんなときは「なんのために生きているか?」なんて、人生のコマを先に進めようとすることは考えない。シクシクしながら、ジトーッとそこにいたいのが本音。よって、私にとって「なんのために生きているか?」と「こんなことのために生きているの?」は、すごーく近いところにあるけれど、ぴったり重なる言葉ではないということ。

自己憐憫する余地すらないとき、つまりくちゃくちゃと味わえる喜びも悲しみもないとき、私はつまらなさを持て余している。実働として忙しいかヒマかは、さほど関係がない。忙しくてもつまらなくて反吐が出そうな日々はいままで何度もあったし、ヒマでもしあわせに包まれていたときのこともよく覚えているもの。

軽い気持ちで新しいことでも始めたらいい

つまらないと、もっとほかにやることがあるはずだと思う。悪いことだとは思わないけれど、ほかのことをやれる能力があると無条件に考えているなら、うぬぼれに近い期待が、自分にあるのだと思う。その「うぬぼれ」を少し高尚な言いまわしにしたのが、私にとっての「なんのために生きているか?」なのだ。要は、つまんないのだ。飽きているのだ、自分と日常に。自分の生き死にになんらかの価値や意味をつけたくなったら、誰かに認めてもらおうとする前に、軽い気持ちで新しいことでも始めたらいい。私にとっては、ただ、それだけのこと。

最後に注意。「なんのために生きているか?」を「誰かから必要とされたい」に翻訳するのは、ちょっと危険だとも思う。誰かから必要とされながら苦しみに耐えることなんて、ザラにあるでしょう。そういうのからは、できるだけ早く逃げ出したほうがいい。生きる使命は誰かのためではなく自分のためにあったほうが、徹頭徹尾健やかでいられることも、私は過去の経験から知っている。

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