カッコイイ「だけ」、可愛い「だけ」

しんどいときに懐かしい写真を眺めたり、好きな音楽を聴いたりは私の心を軽くしてくれなかった。ニヤニヤ以外のセンチメンタルな感情が湧いてしまうから。もっと単純にニヤニヤできるものが効く。たとえば推しのカッコイイだけの写真や、可愛いだけの動物動画。ポイントは「だけ」なところ。なにより即物的なほうがいい。メッセージなどなにもいらない。だって受信機がぶっ壊れているんだもの。

元気なペットのコーギー犬
写真=iStock.com/Peggy Cheung
※写真はイメージです

さまざまな感情を呼び起こす多層的なエンターテイメントは、心が健やかなとき、もしくは立ち直る準備ができたときにしか効かない。だから、そういうものに心が動かされないときはかえって注意が必要なのだ。自分でも気づかないうちに、心が疲れているかもしれないのだから。

しんどくなったら、ニヤニヤしよう。無条件にニヤニヤできるものさえ準備できれば、あとはベッドに横たわり、それを眺めていればいい。気づけば声をあげて笑う自分がいて、しんどさも消えている。私は待ってましたと言わんばかりに、リンドールのチョコレートを口に含む。そろそろバスが来る頃だろう。

「なんのために生きているか?」

つい先日、すごいことに気づいてしまった。これは世紀の大発見かもしれない。みなさん心の準備はいいですか? それではいきますよ……。

「なんのために生きているか?」なんてことを考えるときは、自分の存在価値がわからなくなっているときに加えて……「つまんないとき」です!

ジャジャーン! あれ? 肩透かしを食らった気分? いえいえ、ちゃんと説明すれば、わかってもらえるはず。「なんのために生きているか?」を言い換えるなら、この世に生を受けた理由、自分の使命、生き甲斐などになるだろう。つまり、「私はこのために生きている!」と思える瞬間があれば、なんのために生きているかなんて自分に問うている隙はないのだ。

私が「このために生きている!」と快哉を叫びたくなるときは、たいてい喜びやしあわせに満ち満ちている。片や「こんなことのために生きているの?」と恨みがましい気持ちになるときは、悲しかったりつらかったりする。