選考結果を聞き「あと2名は誰?」
1983年に開始された日本初の宇宙飛行士選抜試験は、募集開始から決定まで約1年8カ月を要した。
「宇宙飛行士の選抜試験って、おもしろいんですよ。三半規管を調べるために、耳にいきなり水を入れられたり、回転いすでグルグル回されたり。
私は医者だから、いつもは検査をする側でしょう? 『患者さんって、こんなに大変なんだ』とわかって、『もうちょっと優しい医者になろう』って思いましたね」
どんな人が宇宙飛行士に選ばれるのだろう。想像がつかないからこそ、検査やペーパーテストの一つひとつに興味津々だったと、向井さんは当時を振り返る。
最終選考まで残った7名には、都内のホテルでNASDA(現・JAXA)の職員から一人ずつ直接結果が告げられたのだという。
「選ばれたときは、『やったー!』っていう気持ちが強かったかな。でも同時に『あと2人、誰?』って思った。残った7人は同じ釜の飯を食った仲間だから、とても仲が良かったんです。みんな優秀でバイタリティがあって、誰が選ばれてもおかしくなかったの」
「だんご3兄弟」宇宙飛行士たちの挑戦
日本人初の宇宙飛行士に選ばれたのは、材料科学が専門の毛利衛さん、ライフサイエンスの向井さん、宇宙工学やエンジニアリングの土井孝雄さんの3人だった。
「ひとつのチームとして実験を行うので、自分の専門だけわかっていればいいわけじゃないんです。だから、『毛利さん、ちょっとここ教えて』『向井さん、これってどうやるの?』なんて、お互いにわからないことを聞いたりして、切磋琢磨していました。
長男がしっかり者の毛利さんで、真ん中が私、土井さんは夢見る弟。『だんご3兄弟』みたいにどこへ行くにも3人一緒で、とてもいいチームだった」
宇宙へ飛び立つまでの約7年間、3人の活動の大部分を占めたのは、体力づくりよりも、宇宙での科学実験を完璧にこなすための猛勉強だった。搭乗する宇宙飛行士は、単なる乗組員ではなく科学者だ。
このミッションには、日本が宇宙で行う実験として、材料実験22テーマ、ライフサイエンス実験12テーマの計34テーマが予定されていた。ただし、スペースシャトルに搭乗する科学者は1人だけ。選ばれた搭乗者は、自分の専門分野に限らず、すべての実験を「代表者」として担当しなければならなかった。
つまり、候補者3人のうち誰が選ばれても、専門外の実験まで含めて幅広く理解し、実行できる能力が求められていたのだ。

