宇宙飛行士を「職業」にするために
1990年4月、日本人初のスペースシャトル搭乗者が毛利衛さんに決定。向井さんと土井さんは、バックアップ要員として地上からサポートすることが発表された。
――残念ながら今回は搭乗できなかったことについて、どう思うか。
搭乗者発表の記者会見でも、その後インタビューでも、現在に至るまで繰り返し投げかけられたこの質問に対して、向井さんの答えは一貫している。
「もちろん悔しいという思いはあったけれど、世界記録を持っているアスリートだって、必ずしもオリンピックで金メダルを獲れるわけじゃない。『時の運』だからしょうがないんですよね」
宇宙へ行くことだけが宇宙飛行士の仕事ではない。遠隔から指示を出す地上のメンバーも含めて、1つの研究チームなのだ。そして当時3人が考えていたのは「自分が最初に宇宙へ行くこと」よりも、「第一世代として、日本に宇宙飛行士という職業を定着させること」だった。
1992年9月、向井さんは、毛利さんを乗せたスペースシャトル・エンデバー号を地上から見送った。日本人初となる7日22時間30分の宇宙実験は、無事成功を収めたのである。
40代でつかんだ「宇宙への切符」
そして帰国後、エンデバー号の飛行報告会の最中に、向井さんは自身の宇宙飛行へのチケットを手に入れた。
「実は、1回目の飛行が毛利さんに決まる前から、次の飛行の準備をしていたんです。当時科学者には、研究飛行のチャンスがたくさんあったから。
私は、最初から複数回飛ぶ、飛ばなきゃダメだとずっと思っていたの。当時の宇宙開発途上国の宇宙飛行士は、一度飛んで帰ってきて、国の英雄として広報活動するだけで終わっていた。でも、それって宇宙飛行士の仕事じゃないでしょう?」
その後向井さんは1994年に42歳でコロンビア号、46歳で1998年のディスカバリー号に搭乗した。当時の活躍はメディアで知られる通りである。
その後は地上からミッションに参加し、20年間にわたり計5度のフライトに携わった。
ここで、向井さんの「選ばなかった人生」に話の矛先を向けたい。

