首相の国会答弁とは完全に食い違い

首相は一貫して疑惑を否定し続けました。5月11日の国会答弁では「週刊誌の記事を信じるか、秘書を信じるかというと、私は秘書を信じます」と言い切りました。動画を誰が作ったかではなく、「誰を信じるか」という問いに変換する答弁は、往年の政治的修辞としては定評のある手法です。

しかし6月に入り、文春が43分の音声を公開すると、その手法の賞味期限が切れ始めました。「秘書を信じる」ことと「秘書がやった事実について正しく国会で答弁する」こととは違いますし、秘書を信じていたからといって、事実と異なる答弁をしてはならないのは自明であるからです。「面識はなかった」と途中まで強弁していましたが、常識的に、面識とは「実際に会って名刺交換をする」レベルではなく「相手を個体認識できる」レベルのことと解されるため、ZoomやLINEで何度もやり取りしていたらそれは面識はある(=相手を認識できる)と解されるのは当然と言えます。

この原則は、1992年、時の首相・竹下登さんが佐川急便事件で証人喚問での内容に関し犯罪に「関与していたはずだ」「嘘をついている」として、野党や一部メディアが「竹下登の偽証」として激しく批判・報道した経緯と極めて似ています。このときは、結果的に、偽証の白黒はつかないまま竹下政権は退陣に追い込まれてしまいました。

1988年6月3日、スキポール空港で竹下首相を歓迎するオランダのルベルス首相
竹下登首相(中央左)(写真=Rob Bogaerts/Anefo/Nationaal Archief/CC-Zero/Wikimedia Commons

当然、今回の問題となる秘書の木下剛志さんや、松井健さんが証人喚問される可能性も取りざたされており、そもそもこのふたりの話を総合すると、後述の通り高市早苗さんの首相としての国会答弁の内容と完全に食い違います。つまり、誰かが嘘をついている話になり、大変なライアーゲームの幕開けとなってしまうのです。

誰もが耳を疑う最悪の危機管理

そして、6月4日の衆院予算委員会。野党が音声の確認を求めると、高市首相は「有料会員になるのは拒否する」と述べ、音声そのものを聞こうとしない姿勢を示しました。なあにそれ。しかし、翌5日の参院予算委員会では一転して「確認した」と答えながら、「秘書本人かどうか判断することは難しい。私と話すときよりかなり高い声でハキハキとしゃべっていた。違和感があった」と述べました。

野党議員たちだけでなく国会中継を見ていた私たち暇人も耳を疑うことになるわけですが、20年来の側近の声が「違う」というのです。インターネット上のやり取りについては「事務所では記録がない、膨大な数があるのでわからない」という答弁が続き、いずれの質問にも正面から向き合わない時間だけが流れました。文春は5日の夜、音声を無料公開しました。高市首相が「有料会員になるのは拒否する」と言ってから24時間も経たないうちに、誰でも聴ける状態になってしまいました。

この一連の流れを政治評論家や法律家が見たとき、口をそろえるのは「危機管理として最悪の手順だ」という評価です。というか、客観的に見れば、首相は嘘をついている、しかも別にそこで嘘をつく必要のないところで、ということになるわけです。