三共の場合も同じ。以前から何人もの担当者が通い、話を聞き、提案してきた。京都にいた間も、担当役員に戻った後も、それが続く。そんな「バトンリレー」のなかで、担当役員だったときに機が熟しただけ。決して、自分1人の戦果ではない。

次長になった90年代末、企業はバブルの崩壊、未曽有の金融危機を経て、赤字が続く事業や子会社を整理し、自己資本の充実を図り始めていた。そうした「傷ついたバランスシート」の組み換えに、出番は多かった。お客には、停滞が続く国内から成長著しい海外へ打って出て、グローバル競争を克服しなければならない企業もある。世界の強者と伍していくのに、単独では困難なら、昨日まで敵同士だった相手とも、提携あるいは経営統合も決断しなければいけない。三共や第一製薬だけでなく、多くが直面する課題だった。

でも、地方の支店長として個人営業などを指揮し、株式相場の1分1秒の動きに反応していた身には、別世界だ。当初は、企業を訪ねても、話している専門用語がわからない。会社へ戻って会議に出ても、みんなが口にする略語や隠語が、自分には通じない。後で、たいしたことは言っていなかったとわかるが、苦労した。その間、お客にかなり迷惑をかけたと思うけど、「すべてはお客のために」を考える姿勢は、貫いた。

転職したかのような戸惑いは、いつの間にか、やりがいへと変わる。もちろん、思い通りにいくことばかりではない。提案した計画が採用される際、土壇場でお客の主取引銀行系の証券会社に逆転された例は、いくつもある。当時、1年後輩の部長と2人で、野村が主幹事を務める上場企業約1500社を受け持った。もちろん、心を配ったのは「バトンリレー」を託す部下たちの教育だ。

「戮力一心」(力を戮わせ、心を一にす)――みんなで協力して、心を1つにする、との意味だ。中国・南北朝時代の北朝について書かれた『北史』にある言葉で、単独で事に当たってもなかなか成就はしないが、力を合わせてやれば事は成る、と説く。「バトンリレー」を大切にする永井流は、この教えと重なる。