信長は誰を信じ、誰を疑ったのか

NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」の物語が終盤に差し掛かっています。7月の放送では、俳優の小栗旬さん演じる織田信長が壮絶な最期を遂げる場面が描かれ、大きな話題を呼びました。天下統一を目前にしながら家臣の謀反で倒れたこの武将は、生涯を通じて誰を信じ、誰を疑っていたのか。今回は、信長をめぐる人間関係に光を当てた記事を3本お届けします。

1本目は、古城探訪家の今泉慎一さんによる、「金ヶ崎の退き口」の舞台を訪ね歩いたレポートです。義弟・浅井長政の裏切りにあい、絶体絶命に陥った信長は、若狭方面へと逃れました。その撤退ルート上に立つ国吉城と、朝倉軍の侵攻に孤立無援で抗い続けた城主に注目し、殿を務めた秀吉や光秀とは別に功労者がいた可能性を探ります。

2本目は、歴史学者の渡邊大門さんによる、本能寺の変の直前における信長と明智光秀の関係を検証した論考です。武田氏討伐後に光秀が冷遇されたとする通説を、当時の史料や研究にあたって問い直し、光秀こそ最も信頼された実務家だったとする見方を示しています。

3本目は、江戸文化風俗研究家の小林明さんによる、信長と弟・信勝の確執をたどった解説です。「うつけ者」と評された若き信長にとって、家中の期待を集める弟は最大の不安要素でした。織田家の系図や家督相続の経緯をたどりながら、兄弟の対立が粛清へと至る過程を読み解いています。

信じた相手と警戒した相手を並べてみると、非情なカリスマと呼ばれた武将の実像が、ドラマとはまた違う角度から浮かび上がってきます。

秀吉でも光秀でもない…「金ヶ崎の退き口」で信長を窮地から救ったと考えられる"もう一人"の戦国武将の名前

(2026年4月12日公開)

本丸、織田信長公銅像(清洲公園)
写真=今泉慎一(風来堂)(左)、Wikimedia Commons(右)
本丸を北西下より見上げる、織田信長公銅像(清洲公園)(写真=Bariston/CC-BY-SA-4.0/Wikimedia Commons)

NHK大河「豊臣兄弟!」では信長(小栗旬)が浅井長政(中島歩)の裏切りにあい、敵地で絶体絶命に。そこからの撤退劇の舞台となった福井県を訪ねた今泉慎一さんは「金ヶ崎城からの撤退ルート上に、信長に味方したかもしれない武将の城がある」という――。<続きを読む>

 

羽柴秀吉でも滝川一益でもない…"本能寺"の直前まで、織田信長が最も信頼していた"武将の名前"

(2026年2月24日公開)

楊斎延一『真書太閤記 本能寺焼討之図』、大判錦絵三枚続、明治26年
写真=Wikimedia Commons
楊斎延一『真書太閤記 本能寺焼討之図』、大判錦絵三枚続、明治26年(写真=CC-PD-Mark/Wikimedia Commons)

織田信長が本能寺直前まで最も信頼していた家臣は誰だったのか。歴史学者の渡邊大門氏は「武田氏討伐後、信長が明智光秀を冷遇したという説は広く知られている。だが、その見方には無理がある。光秀こそ最も信頼された実務家だった可能性が高い」という――。(第1回)<続きを読む>

 

今川義元でも、斎藤道三でも、徳川家康でもない…20代の織田信長が最も信用できなかった"武将の名前"

(2026年2月3日公開)

織田信長像(模本)
出典=ColBase
織田信長像(模本)

NHK大河ドラマ『豊臣兄弟!』では兄を支えた弟の姿が描かれるが、織田信長と弟の関係はその真逆だった。なぜ信長は「非情なカリスマ」になれたのか。江戸文化風俗研究家の小林明さんが読み解く――。<続きを読む>

 
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