「いつまで他人の期待に応え続けるのか」という問い

【蓄積(A)】
40代半ばでマネージャーに昇進した頃から、少しずつ違和感が生じるようになります。部下に「正しい答え」を伝えても響かない。チームをまとめようとしても、メンバーの顔色をうかがってしまう。「本当にこれでいいのか」「いつまで他人の期待に応え続けるつもりだ」と思いながらも、その声を押し殺すように仕事に没頭しました。しかし押し殺した感情は消えず、少しずつ心の奥底に堆積していくばかり。そして、ある日、思うように体が動かなくなり、Aさんは休職することを余儀なくされました。

木につるされたハンモック
写真=iStock.com/Eleonora Grigorjeva
※写真はイメージです

【認識(R)】
休職中のカウンセリングで、「もし制約がなくなったら、何をしてみたいですか?」と問われますが、Aさんはうまく答えられませんでした。それでも、「自分が何をしたいかなんて、考えたことがなかったんです」と、初めてその空虚さを言葉にすることができました。その後、カウンセラーとの対話のなかで、押し殺してきた「自分」と向き合うことになります。怒り、悲しみ、寂しさ、悔しさ――「良い人」でいるために蓋をしてきた感情が、少しずつ表に出てきました。

【構想(C)】
やがてAさんは「私はどんな人間になりたいのだろう」という問いに向き合い始めます。昔好きだった絵を描く。お菓子づくりを始める。会いたかった人に会いに行く。大学院への進学を検討する。いろいろと試してみる中で、「他者の期待に応える人生ではなく、自分の願いを生きる人生をしたかった」という心の奥底にあった願いに気づきました。

【変容(T)】
復職後、Aさんは小さな新しい行動を意識的に試みました。上司に自分のやりたいことを伝える。部下にすぐ答えを出さず、本音を聴く。会議で「間違っているかもしれないけれど、私はこう感じる」と声に出してみる。無理な依頼をされても、「今は難しい」と謝りながら断ってみる。

“自分らしい器”に気づくまで

「まだまだ道半ばです」とAさんは言います。「ふと気づくと、また他者の期待に応えようとしている自分がいる。でも『あ、また同じパターンだ』と気づけるようになりました。自覚できたら修正する。私の人生は、その繰り返しかもしれません」

羽生琢哉『組織の器』(日本能率協会マネジメントセンター)
羽生琢哉『組織の器』(日本能率協会マネジメントセンター)

Aさんの事例から、ARCTモデルを通じた器の成長が、華々しい成功物語でもなければ、「完成」を目指すモデルではないことがわかります。「気づいたら修正する。その繰り返しかもしれない」というAさんの言葉が、器づくりの本質--ARCTのサイクルを回し続けること--を体現しています。

知識や経験が豊富であることと、自ら成長し続けることは別次元の話であり、器の成長に正解も、終わりもありません。求められるのは、経験や知識、スキルではなく、自分らしい器を作ろうとする姿勢そのものです。

挫折や苦しみのなかで、ありのままの自分や他者と真摯に向き合っていく。その地道な試行錯誤を経て、結果として器は広がっていくのです。

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