“謙信への呆れ”があったのではないか
こうして、10月、信忠を総大将とする約10万とも伝えられる攻撃により信貴山城は落城した。
久秀の最期を想像するなら、無念というより嘆息に近かったのではないか。策が外れた悔しさでも、信長への恨みでもなく、ただ一人の男への呆れがあったのではないか。
「ほんまに、とんでもないヤツがおったな……」
皮肉なことに、その頃、久秀が謀反の発端を作った手取川の戦いで無断離脱した男……羽柴秀吉は、信長に死罪を申し渡されながらも、松永久秀という「もっと大きな問題」のおかげで命拾いしていた。
結局、運も天下には重要な要素だったのか……。


