最も裏切りに向かない局面だが…

だから、信長の視点に立てば、包囲網という包囲網がことごとく崩れ、あとは本願寺一つを片付ければ畿内は完全制圧という局面である。おまけに西の強敵である毛利氏も次第に勢力を削がれている状況だ。この年、信長は信忠に家督を譲っているわけで「まあ、まだ山はいくつかあるけど、畿内は掌握したなあ……」という状況である。そこに久秀が突然「実は、俺も敵なんだ」と言い出したわけだ。

状況だけみると、久秀は見事な腹黒い裏切り者だ。

マンガによく登場する、ようやくラスボスを倒したあたりでいきなり主人公の後ろから、とんでもない魔法とかで攻撃を加えてくるヤツ。そして、突然の裏切りに驚く主人公たちに「最初から、そのつもりだった」とかいいだすダークヒーローである。

しかし、信長から見れば、久秀が圧倒的に不利な状況で裏切っているようにしか見えなかった。

信長の視点に立てば情勢は、こう見える。包囲網は崩壊した。本願寺は孤立している。毛利も後退しつつある。合理的に考えれば、今が最も裏切りに向かない局面である。

謙信の動きが、久秀にとっては“チャンス”

しかし久秀の情勢分析はまったく違った。

多くの勢力の中で揉まれ、三好政権の興亡を間近で見てきた久秀には、信長には見えていないものが見えていた。生き残りを狙うために裏切るなら、むしろ今しかないという合理的な判断が、確かにあったのだ。

その根拠は北陸にあった。

1577年9月、上杉謙信が手取川で織田軍を破っている。久秀が信貴山城に籠もったのは同じ1577年8月である。謙信が手取川に向けて動き出したまさにそのタイミングだ。

この謙信の動きこそが、久秀にとってのチャンスであった。地図を見てみるとよく理解できる。

上杉謙信公御肖像
上杉謙信公御肖像(写真=上杉神社所蔵/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons

謙信の本拠・越後から京都を目指すルートは、北陸道を西進して近江に入り、そこから南下して畿内に至るものだ。手取川の戦いが起きた加賀は、そのルートの途上である。つまり謙信はすでに京都への道筋の半分まで来ている。しかも信長が確保している北陸の土地でも、いまだ一向一揆の勢力は強い。とりわけ越前は信長が朝倉氏を滅ぼして確保したばかりの土地だ。支配者としてはハリボテに過ぎない。つまり信長としては、下手をすれば琵琶湖の手前くらいまで一気に抜かれる可能性すらある。