京都中に広まっていた“衝撃”

そこで村井貞勝は二人に助命嘆願するよう言い聞かせた。しかし二人は「とても命御たすけはあるまじきものを」と答えた。どうせ助からないのだから、と。そして手紙を書くことを求めたという。

この部分、淡々とした記述を好むメモ魔の太田牛一なのに「感情の滲み」が伝わってくる。それくらいに久秀の裏切りがわけのわからない衝撃的な出来事だったことがわかる。

松永久秀像
松永久秀像(写真=高槻市立しろあと歴史館/『月刊大和路ならら』vol.264/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons

しかも、このパニックは世間にも伝播していた。処刑当日の様子を『信長公記』は、こう記している。