大阪を見渡せる山に築いた城

久秀の「勝算」の大きなファクターとなったのは、謙信の動きを代表とする信長の置かれた四面楚歌状態だった。さらに加えるならば、居城・信貴山城が非常に堅固な山城だったことだろう。

信貴山城は、大和(現・奈良県)と河内(現・大阪府南東部)の国境の山地に築かれた山城。標高437m、比高340m。なかなか峻険だが、中腹の朝護孫子寺ちょうごそんしじまで車でアクセス可能だ。

【図表1】信貴山城の位置

朝護孫子寺は、聖徳太子創建と伝わる古刹。信貴山城の戦いで焼失後、豊臣秀頼により再建されている。現在は江戸時代築の山門や塔、お堂が残る。信貴山の山頂一帯がかつての信貴山城だが、その城域は同寺の広い意味で境内にあたる。