人命を“値引き”するコスパ感覚
これまでの報道によると、バス会社側は「学校側から予算を抑えたいという要望があった」と説明しています。
もしこれが事実でも、たぶん学校側に悪意はありません。くり返しますが、「生徒の命を軽視しよう」と思う先生がいるなんて、そんなことはまず、ありえない。たぶん、「遠征にかかる経費を少しでも抑えたい」という意図だった可能性が高い。
でもこれが、死傷事故の根っこです。そのコスパ感覚がいつのまにか、「人命」に王手をかけている。しかも、自覚なしに。
人の命を“安く削っちゃいけない”ことは子供でもわかるのに、実際に大人が人命を“値引き”している。なぜなら、その選択をするときに、その先に待ち受ける最悪の事態が見えないから。
聞くところによれば、学校の部活動って、実はかなりギリギリで回っています。遠征費、宿泊費、交通費。部活によっては、年間数十万円単位でお金がかかる。保護者負担も重い。学校側も、「保護者に負担をかけたくない」と考える。で、そこに運転手不足とか、バス代高騰が重なる。
結果として何が起きるか。
「異常に安い」の“異常な”舞台裏
少しグレーでイレギュラーだけど安い方法が、“正解”に見え始める。
「いつもの会社だから大丈夫」
「前にも頼んだし」
「事故なんて、まず起きない」
これって、リスクの過小評価です。リスクの見誤り以外の何ものでもない。そもそも「安全」とは“高い”もので、コスパの俎上になんてのせちゃいけない。
安全にはコストがかかります。ちゃんと整備された車両。十分に休養した運転手。資格。保険。法令遵守。運行管理。ぜんぶ、お金です。
つまり「安い」のは、どこかのコストが削られている可能性がある、ということです。
もちろん、安くても安全なサービスはあります。企業努力もある。イノベーションやテクノロジーの進化もあるでしょう。
ただし、「異常に安い」には、“異常な”舞台裏がある。
物流も同じです。Amazonで翌日に荷物が届く。送料無料。でも、その裏では誰かが長時間働いていたりする。飲食業でもいえます。外食チェーンの値段が安い。でも、裏ではギリギリの人件費だったりする。
つまり、“安さ”は、誰かが見えないところで負担していることが多い。それを忘れると危険です。

