求められるのは「コンパクトで丁寧な指導」

「丁寧な指導」と「時間をかけた説明」は、似て非なるものです。相手が求めているのはあくまでも「コンパクトでわかりやすい指導」です。

それにもかかわらずDさんが「自分が長時間指導しても相手はじっくりと聞き、感謝してくれているはず」と考えたのは、「自信過剰バイアス(自分のことを実態以上に高く評価したくなる心理)」の典型例です。

小学校時代の朝礼の状況を思い出してください。校長先生は皆さんに一生懸命伝えようと、丁寧に、そして長々と話していました。一方、聞いている児童の多くは、ただただ苦痛で、話の内容なんてほとんど頭に残らなかったものです。

校長先生も、自分が小学生だった頃は長い話は嫌だったはずですが、大人になって「私の話は面白いから、児童たちはしっかり聞いてくれるはず」という幻想を抱き、話はどんどん長くなってしまったのです。Dさんも似た状況に陥っていると推測されます。

かみ合わない「両者の思い」

また、Dさんは「自分は上司からの丁寧な指導に助けられた」という経験を美化して都合よく解釈している可能性があります。

その上司は単に丁寧だったのではなく、指導をするに当たって部下のニーズに沿って万全の準備をし、受け入れられやすい形にしていたのかもしれません。

一方、Dさんはその上司の「丁寧な口調」といったわかりやすいものばかりが頭に浮かびます(利用可能性バイアス)。

多くの人は、丁寧な口調で長々と話をする上司よりも、言葉が多少ぶっきらぼうでも行動指示を明確に伝える指導のほうを嬉しく感じます。

働く二人のビジネスパーソン
写真=iStock.com/Tippapatt
※写真はイメージです

Dさんは「自分の穏やかな指導は皆に受け入れられている」と疑っていませんでした。でも、実際には、「時間を度外視してダラダラと抽象的な話を続け、結局何をすればよいのか伝わらない指導」だったため、部下にはムダで苦痛な時間と認識されてしまいました。

さらにDさんが率先して時間外勤務を行ったことで、他のスタッフたちは先に帰りづらくなりました(規範バイアス)。

労働生産性重視の時代に、Dさんのスタンスが受け入れられないのも仕方のないことです。