和の看護婦修行は“もっと猪突猛進”
NHK朝の連続テレビ小説「風、薫る」。さまざまな意見があるものの、第30回(5月8日)の平均世帯視聴率は13.9%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)と、まずまずの状態で続いている。ここから先、一ノ瀬りん(見上愛)と大家直美(上坂樹里)とが、どれだけキャラを立ててくるかが、視聴率の分かれ道といったところだ。
さてドラマでは、まだしばらく看護婦修行と、それをとりまく人間模様が描かれていくことになる。正直なところ、りんのモチーフとなった大関和の資料をみていくと、ドラマで描かれる看護婦修行は、朝ドラならではのオブラートに包んだ感じになっていることが否めない。
なにしろ、和が看護婦を目指した理由は、吉江(原田泰造)のモチーフである牧師の植村正久に看護婦になるのが信仰をまっとうする道だと説かれたから。それまで、看護婦というのは落ちぶれた者がなる職業だと思っていた、和はこれで180度回心。そういうタイプの人にありがちなもので、和の看護婦修行は猪突猛進である。
しかも時代は明治時代である。現代みたいにテクニカルな教授法があって、誰でもわかりやすくなんてことはない。ベースは精神論。そこにアメリカ改革派(アメリカで独自に発展したプロテスタント・オランダ改革派の変種)のキリスト教ならではの信仰、すなわち、この仕事をまっとうして、社会を改良して、無知蒙昧な人々を救うのが神の道。わたしはあらかじめ選ばれていたのだ‼ なんて選民意識も加わっているから、熱心さは増す。
“神に選ばれた私が、使命として看護をする”
大関自身が語った学校の思い出には、こんなことが書いてある。
ようは「神に選ばれた私が、使命として看護をする」ということである。これはもう、気合の入り方が違う。
「やりがいを感じて」とか「患者さんの笑顔が励みで」なんて意識とは、根本的に構造が異なる。もちろん「手に職をつけたかった」なんてことはない。大関和の場合、看護そのものが信仰の実践なのだ。神の命令なのだから、手を抜く理由がない。患者が感謝しようがしまいが、関係ない。神が見ている。いや、古今東西、だいたい神様は見ているものだけど、当の神様も「そうは、いってないんだけど」といいそう。
猪突猛進、というのはそういうことである。もちろん、当時としては最先端のことをやっているわけだから「私、いま世の中の先頭を走ってる」という高揚感はあるはずだ。現代でいえば、最新のAIツールを使いこなして業務を改善している人みたいに。

