“信仰ある看護婦が必要”と教わった和

なにせ、和の学んだ櫻井女学校附属看護婦学校はできたばかり、教師はアメリカ人だし、使っている教科書は全部英語である。そんな状況で学んでいたら、自己肯定感も増してさらに猪突猛進になるのはいわずもがなだ。

しかも、学校の教育方針も熱い。和は創立者であるマリア・T・ツルーにこう教わったと記している。

ミセス、ツルーは常に私共に対して、看護婦の責任の重大なるを教え、且つ国を強くするには人を健全にせねばならぬ、人を健全にするには信仰ある看護婦がなければならぬ。私はにほんのために善良なる看護婦を養成せんとて、慈善家の賛助を求むる画、お国は一向同情して呉れず、思うように拡張することが出来ない。どうかあなた方が責任を自覚して献身的に働いて貰いたいと、繰り返し繰り返し教えられました(大関和子「献身の覚悟で看護婦となる」『婦人之友』7巻11号)。

うーむ、決して予算は潤沢ではないけど、責任を持って看護婦としての技術を磨いて世のため人のために献身して欲しいということか。これは、明治維新によって士族としてのプライドを失い、“夫に捨てられた女”としてのプライドも失った和の福音になるのも当然だ。

でも、よく読むとなんだかおかしい。なぜなら、この人「人を健全にするには信仰ある看護婦がなければならぬ」と言い切っているのである。

大関和は前列右から2番目。日本最初の看護婦と伝わる写真。
大関和は前列右から2番目。日本最初の看護婦と伝わる写真。(写真=佐波亘『植村正久と其の時代 第5巻』(1938年9月28日発行)より/PD-Japan-oldphoto/Wikimedia Commons

看護教育ではなく“布教プロジェクト”

そう、この学校「あなたたちに施しているのは、ただの看護教育の話ではない。布教プロジェクトなんだ」と言いきっているわけである。ようは、信仰ある看護婦を日本中に送り込むことで、キリスト教の変種である、アメリカ改革派プロテスタントの価値観を広げていくというもの。それも、献身とか色んな言葉を使ってはいるが、病床という最も無防備な場所から日本社会に浸透させていく野望ともみえる。

ソフトパワーという言葉がある。軍隊でも経済制裁でもなく、文化や価値観で相手国を動かす戦略だ。現代ではX(旧Twitter)やInstagram、YouTubeやNetflixがその役割を担っている。ようは、和が邁進したのは、それの明治版だったというわけである。……まあ、結果としてその帝国主義的な野望はともかく、看護婦という職業が普及していったのだから、よしとしよう。

こうして看護婦になった和だが、その信仰心ゆえなのか、とにかく献身的な看護を行っている。いや、献身的というより、無謀である。

和は、現場でのエピソードを次のように記している。