無視、弟の死…比叡山への“個人的な恨み”

つまり信長にとっての比叡山は「宗教的権威への挑戦」でも「中世的秩序の打破」でもない。自分の警告を無視され、敵を匿われ、身内まで死なされた。個人的な恨みの相手だった。

目的も「焼き尽くすこと」ではなかった。比叡山は北陸路と東国路が交わる軍事的要衝である。浅井・朝倉が再びここに立て籠もれないよう、拠点としての機能を完全に潰すことが目的だった。

舐められてキレた。身内を殺された。軍事拠点として邪魔だった。この3つが重なって、1571年9月12日が来たというわけである。