元住吉会幹部のヤクザから受けた圧力

私は自衛上、心ならずも裁判所限定で彼らの名を明かした。ただ裁判がはじまる前、裁判官を交えて両者が話し合う争点整理の段階だったから、第三者やメディアの傍聴や立ち会いはない。

世間に暴力団幹部の名が知られることはないと踏んだ。

だが、暴力団側は私が世間に名を公表したと錯覚したのか、その後、私を敵視して悪しざまの陳述書を寄せてきた。

そのためここではわかりやすさを考え、組織名も個人名も実名で記述する。2人のうち1人は鬼籍に入り、もう1人は現役だが、私が記す事実に左右されないほどの地位を確立している。ここに記す出来事は15年も前の話である。もう「時効」になっていよう。読者は私が執る実名措置を了とせられたい。

暴力団とのいきさつは具体的にはこうである。

2006年4月24日の午後3時、私は虎ノ門のホテルオークラで元住吉会の金子幸一氏(2016年没、享年85)に会った。通称がバービーとかバンビとかいう有名人で、芸能界に人脈が広いらしい。

細木氏の生家は売春を営んでいたのか

前日、私が電話で若い時代の細木数子について教えてもらいたいと申し込むと、金子氏は快諾し、この日の取材となった。私は金子氏と初対面であり、金子氏が私に渡した名刺には、「住吉会会長補佐 住吉一家家根弥やねや八代目総長 金子幸一」とあり、黒色のボールペンで肩書き部分が消されていた。

金子氏が言うには、

「いまは現役を退いたが、新しい名刺を持たず、古い名刺で代用している。そのためこれで勘弁してくれ」

こういう金子氏について、「広域暴力団の元最高幹部」と表現することは不自然ではなかろう。

金子氏は1958(昭和33)年から1964(同39)年まで服役していたとのことで、当時、細木数子がバーなどを営んでいた新橋、銀座時代を知らず、それ以前、細木が10代のころを過ごした渋谷の記憶も薄く、あまり参考になる情報を持っていなかった。

バーでお酒を飲む女性
写真=iStock.com/west
細木数子はバーなどを営んでいた(※写真はイメージです)

私は渋谷百軒店の細木の生家が簡易・安直な座布団売春の店だったのではないかと疑い、金子氏に当時の模様を話してくれるよう頼んだが、金子氏はそのころ渋谷で遊ぶことが少なく、確たる情報を持っていなかった。