なぜ京都の人間が京都を破壊するのか
ところが、いままた「新景観政策」を骨抜きにしようとして、京都の要人たちがうごめいている。
自分たちが世界に誇るべき宝を、なぜ簡単に毀損しようと考えるのか。景観を守ってこそ、外国人観光客にとっても日本人観光客にとっても、将来にわたり「京都の歴史や文化への関心がある、知的好奇心の高い方々のニーズにしっかりと応えられる、持続可能で質の高い滞在」が可能な都市であり続けるということに、なぜ気づかないのか。
観光に頼らない経済も大事だ、というのかもしれない。たしかに、規制緩和を実現して高いビルを建てれば、ディベロッパーやゼネコンは一時的に潤うだろう。だが、人口減社会においては、こうしたビルは将来的には負の遺産になり、むしろ禍につながることは、すでに述べたとおりである。
「新景観政策」での高さ制限は、これから人口が減少していくなかで、社会構造を縮小させなければ生き残れない日本の各都市とって、拡大路線から脱却して持続可能な町づくりを進めるためのモデルケースになりうるものだ。短期的にオフィス空間が少しぐらい足りなくても、いいではないか。ほかの都市と違って、オフィス空間が負の遺産にならずに済むのだから。
規制緩和などしなければ、近い将来、京都は持続可能な町づくりにおいて、各都市をリードしうる。ところが、そのための条件をいま、みずから壊そうとしている。これを狂気の沙汰と呼ばずしてなんと呼ぶのか。

