日本の野蛮性を見せつけることに
公益財団法人京都市観光協会は、インバウンドの増加を受け、「京都の歴史や文化への関心がある、知的好奇心の高い方々のニーズにしっかりと応えられる、持続可能で質の高い滞在経験を生み出す仕組みづくりが一層重要となります」と訴えている。的を射た方針だと思う。
観光客1人あたりの消費単価で、インバウンドは日本人の3倍を超える。結果として京都市の観光消費額は、2024年に過去最高の1兆9075億円に達した。京都の経済界が、観光だけに依存しない経済を指向しているにせよ、事実として、インバウンドが牽引する観光消費は、京都に大いなる潤いをもたらしている。
ただ、現在は過度の円安の影響で、旅先に日本を選んだ理由が「安いから」である外国人観光客が多い。しかし、インバウンドの観光消費を持続させるためには、今後、円高に転じたとしても「京都の歴史や文化への関心がある、知的好奇心の高い方々」が訪れるに値する魅力を、京都が保持し、また創出する必要がある。
ところが玄関口たるJR京都駅前に、現在の2倍の高さ60メートルのビルをズラリと並べ、その周囲も高さ45メートルまでは認めようというのが、有識者会議の意見である。少なくともヨーロッパの歴史都市には、長年かけて培われたイメージに対するこのような破壊的な前例は一つもない。
規制緩和は「知的好奇心の高い方々のニーズ」とは正反対で、それはすなわち、外国人観光客に対して京都、ひいては日本の野蛮性を見せつけることにほかならない。
他の新幹線駅よりオフィス空間が少ない
インバウンドがもたらす利益には、観光消費以外にも無視できないものがあるはずだ。日本の価値を評価する外部の目である。明治時代に日本古来の美術の価値を見いだしたフェノロサのような役割、あるいは、島国ゆえに独りよがりになりがちな日本にとっての、社外取締役のような役割ともいえよう。
ところが残念ながら、そういう目は有識者会議にとっては、考慮の外にあるようだ。海の外からの目よりも、京都市や京都の経済界の目を気にしているのだろう。じつは京都商工会議所の都市整備委員会は、1年前の2025年4月14日に、高さ規制を60メートルまで緩和することなどを求めた意見書を市に提出していたのだ。
京都駅周辺は、新幹線沿線のほかの駅とくらべてオフィス空間が少なく、現状では近隣の都市に対抗できない、という考えが京都の経済界にはある。ディベロッパーやゼネコンの利益を確保し、オフィスや商業空間を増やすためには、拡大型の再開発が不可欠で、それには高さ制限を緩和するしかない、という考え方である。
実際、有識者会議でも「民間の投資としては一定の高さを保証しなければ見合わない」という意見が出されている。それはすなわち、再開発をする以上は従前の建物よりも拡大しなければ、十分なリターンが得られない、という意味に受けとれる。だが、その考え方は、人口が予想を超えて減少している日本においては、致命的にまちがっている。

