持続可能性とは正反対

日本人の出生数は2016年、1899年に統計を開始してはじめて100万人を割り、以後も減少の一途をたどっている。2024年に70万人を割って68万6173人となり、2025年は66万5000人程度だと推計されている。国立社会保障・人口問題研究所は2023年に公表した試算で、2025年の出生数を74万9000人と見込み、66万人台になるのは2041年としていた。日本の少子化は国の予測よりも16年も速く進んでいることになる。

国土交通省は、日本の総人口が2050年には1億人にまで減少すると見込む。だが、上記の予測が大幅な前倒しになっている以上、1億人の大台を下回るのはもっと早いだろう。その状況で拡大型の再開発をすれば、持続可能性とは正反対に向かうしかない。

現在、全国的にオフィスビル需要は増加し、また、大都市圏のマンション価格が上昇している。たしかに、コロナ禍で進んだリモートワークからの回復もあり、オフィスビルは不足気味のようだが、一時的な現象にすぎない。生産年齢人口は今後減少する一方で、しかもフリーアドレス化は進み、AIは進化する。オフィスビルの総需要は近い将来、どう見積もっても減少に転じざるをえない。

駅前のビルを高層化し、フロアの一部を分譲や賃貸のマンションにすれば、立地のよさから人気を得るかもしれない。しかし、人口減社会においては、人気エリアにあらたに住宅を供給すれば、ほかの地域の空き家の増加に直結する。商業施設も同様で、仮に再開発されたビルの商業施設が賑わえば、ほかのエリアの空洞化を招く。

守られた景観があっての観光消費

50年、100年先まで見据えて、日本の歴史と文化が凝縮した国際観光都市、京都を磨き上げていく、という視点に立つとき、有識者会議の意見はあまりにも乱暴である。京都商工会議所も同様で、10年か、せいぜい20年先までのことしか考えられていない。自分が死んだらあとはどうなってもいい、という姿勢で意見をまとめているとしか思えない。

私事で恐縮だが、高校時代から京都に通っていた筆者は、1997年に京都駅ビルが完成した後は、10年以上京都に寄り付かなかった。ある地域にかぎって従来の容積率や高さ制限を適用しない「特定街区」が、京都ではじめて適用されたのがあの駅ビルで、コンペでは景観は完全に無視され、ホテルと百貨店のフロア面積がもっとも大きな案が採用された。

京都駅
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結果として、高さ約60メートル、幅約490メートルにわたり巨大な衝立のように町を分断し、さまざまな地点からの古都の景観を大幅に損ねている。国際標準の考え方に照らすとあまりに異常な建物で、こんなものが日本の象徴たる古都の真ん中に建っているのを、外国人観光客に見られてしまうことが、筆者は恥ずかしくて仕方ない。

だが、筆者に限らず、こうした景観破壊への反対の声は大きく、それを受けて2007年に、ようやく「新景観政策」が策定された。その核心は、高さ制限を最高で45メートルから31メートルに、歴史的市街地では31メートルから15メートルに引き下げるというものだった。それまで戦後60年余りにわたり、壊され続けてきた京都ではあったが、辛うじて死なずに済んだ感があった。

世界の歴史都市のなかで、景観が守られている度合いは最低の部類だが、とにかく「新景観政策」のおかげで以後の破壊がある程度食い止められた。守られた景観があっての観光消費であるのは、いうまでもない。