和は「くっそうの精神」で突き進んだか

ここまで見てきたように、大関和の「苦境」とは、旧藩の華族を頼れて、エール大学帰りの知人がいて、「近代歯科の父」の妻に紹介してもらえる、という種類の苦境である。

この時代、離縁されて幼子を抱えた女性の末路は、おおむね決まっていた。実家でひっそり肩身を狭くして暮らすか、さもなくばもっと惨めな道である。

和が「くっそう、今に見ておれ」とばかりに英語塾に通い、社交界に顔を出し、やがて“日本最初の看護婦”へと駆け上がれたのは、彼女の意志と才能によるところが大きい。それは間違いない。

しかし、その意志と才能を発揮する余地があったのは、彼女が上流階級の娘だったからである。

「くっそう」のエネルギーは、誰にでもある。実家が太いヤツが強いのは、明治も令和も変わらない。

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