妾の子が複数いたので「六郎」…逃げるように上京か

この離婚の経緯だが、そもそも結婚相手の渡辺福之進という男は、藩政改革の時に藩兵として出世、戊辰戦争では藩の小隊長にもなっている。廃藩置県の後には陸軍少尉にまで出世した後に病を理由に退職して戻ってきた人物で、既に40歳近い男であった。

大関を研究した亀山美知子によれば、和は、この結婚を拒み、思いあまった末に頭髪を全部剃って、馬を疾走させたと記している。

そんなに結婚を拒まれても動じない、渡辺というのもたいした大人物である。ともあれ、結婚した二人の間に生まれた息子に、渡辺は六郎と名付けた。というのも、渡辺には既に数人の妾がいて、それぞれに子供がいたからである。