鹿鳴館や捨松との接点は不明、朝ドラは“創作”

なお、ドラマは鹿鳴館を推しているが、鄭永慶が可否茶館を開業した理由は、鹿鳴館への反逆である。

永慶氏は「よしッ! 俺は、あんな表面だけの欧化主義で馬鹿騒ぎしている社交場なぞを尻目にするような、大衆庶民や学生のための『社交サロン』である知識の共通の広場になるような新しい『喫茶店』を開店して、世の若い世代の者たちのために、一旗あげてみよう!」と決意したのである。
(寺下辰夫『珈琲ものがたり(味のシリーズ 1)』ドリーム出版、1967年)

志は高い。ただし開店費用は、父・鄭永寧が出した。

ともあれ、ドラマでは鹿鳴館でメイドから始まり、大山捨松の知遇を受ける流れで進んでいる。これは、大部分というより、ほぼすべてが創作と言っていい。

前述の亀山の著書によれば、この時期の和の消息はこう記されている。

東京へ出てからの和の消息は詳細にはわからないが、洋装姿の写真が残されており、鹿鳴館時代の当時、和もまた社交界にも姿をみせることがあったのだろう。

そして、現在収集することのできる和の書いた文章や、取材記事などを見ても鹿鳴館に通ったとか、鹿鳴館での婦人たちのバザーで捨松の知遇を得たなどという記述は一切見当たらない。そりゃ、立ち話くらいはしたかもしれないが、和と捨松はその人生においてまったくの無関係。ほぼ、いや……完全に赤の他人である。

先行研究をたどると“フィクション”

ところが、ドラマの原案である田中ひかる『明治のナイチンゲール 大関和物語』(中央公論新社、2023年)では、二人の絡みが描かれている。田中は歴史社会学者であり、この本には「史実をもとにしたフィクションです」と、きちんと書いてある。良心的である。

大関和
大関和(写真=『実地看護法 5版』国立国会図書館デジタルコレクション/PD-Japan-oldphoto/Wikimedia Commons

ただ、この鹿鳴館のバザーからの逸話は、田中のオリジナルかというと、そうでもない。尾辻紀子『近代看護への道:大関和の生涯』(新人物往来社、1996年)にすでに登場するエピソードで、田中はこれを丁寧に援用している。先行研究を踏まえた、誠実な仕事ぶりといえよう。

つまり構造としては、尾辻が書いたフィクションを、田中がフィクションと明記しながら引き継ぎ、NHKがドラマにした、ということである。フィクションのバトンリレーとでも言おうか。……パクリではない。走者全員、善意であると筆者は信じている。

フィクションの人物に実在人物を絡ませる作劇手法は、関川夏央・谷口ジローの劇画『「坊っちゃん」の時代』(双葉社、1987年)などでも用いられており、成功すれば傑作になる。ただし失敗すると、大恥である。このドラマが、どちらに転ぶか。「江〜姫たちの戦国〜」の時のように期待してやまない。