英語習得は“外国人との会話に不便を感じたから”
洋装といっても、当時それは一部の上流階級にしか許されない装いである。しかも写真撮影は明治8年時点で3〜7円(週刊朝日編『値段の明治・大正・昭和風俗史 続』朝日新聞社、1981年)。金持ちでもなければ撮影などできない。これが史実の大関和の「苦境」である。
ドラマでは直美が鹿鳴館のメイドとして働いているわけだが、史実と照らし合わせれば、これは、りんのモチーフである大関和の人生を利用している。でも、和はメイドどころか社交を繰り広げる側だったというわけだ。
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それにしても、直美は第一話で自ら「みなしご」と言っている。貧困の極みの出自である。
鹿鳴館のメイドというのは、上流階級の文化を身につけた女性が就く仕事である。現代のカフェのアルバイトではない。ドラマは鹿鳴館のメイドをコンカフェのキャストかなんかと間違えているフシがある。
さて、上京した和が英語塾に通うに至った経緯は、史料にはこう記されている。
上流階級の交際だった
鄭永寧は、もともと明朝から亡命した鄭成功の子孫で長崎奉行のもとで通訳をしていた一族である。維新の後は、明治政府に出仕して通訳官となっていた。
その息子の永慶は、幼い頃から語学の天才と呼ばれ、エール大学に留学し金子堅太郎などと共に机を並べた人物である。しかし、留学中に病を得て帰国、その後も外務省に出仕したが学位がなくては出世も頭打ちだと、心機一転。はじめたのが、日本最初の喫茶店として記録される可否茶館であった。
つまりそもそもが、上流階級の交際である。
鄭永慶はエール大学帰りで日本最初の喫茶店を開いた男だが、それはまだわかる。問題は彼が紹介した「イイストラ女史」の正体だ。この人は、横浜で歯科を開業し「近代歯科の父」と呼ばれたイーストレイクの妻である。このイーストレイク家、息子のフランクの自宅で行われていた聖書を研究する集会は、植村を迎えて教会としての組織を整え、現在も千代田区に存在する富士見町教会へと発展していく(東北学院百年史編集委員会 編『東北学院百年史』東北学院、1989年)。
……和の周囲に、庶民が一人もいない。ちなみに重ねていうが、この時期のもう一人のモチーフである雅の動向はほとんどわからない。
