道頓堀へ飛び込んでいた人たちの思考回路
2003年当時の大阪の若者たちは、自らダイブしようと道頓堀へ繰り出した。それから20年、今の大阪の若者たちは、自らはダイブせず、ダイブする人を見に行くという行為に変わってきている。
事実、同記事の写真には、スマホを掲げて誰かが飛び込むのを撮影しようとする多くの若者たちの様子が、はっきりと映っている。「自ら行動する」から「誰かが行動するのを見る」へ。これがこの2年間で変容した若者の心理を如実に表している。
そして本稿の主役は、この5000人のほう。二十数年前に道頓堀へ飛び込んだ人たちだ。
本書の別の章で紹介している酒井崇匡さんの分析では、今の若者たちに優しく寄り添い、道を踏み間違えないよう助言する親たちの様子が的確に描写された。若者たち以上の大企業志向にアンチ・ベンチャー。なぜ今の若者たちの安定志向がここまで強まったかという問いに対する一つの解だ。
しかし、最後の最後に、そんな親たちも若い頃はベンチャー志向が強かったと言うではないか。本稿では、そんな40代後半から50代となっている人たちが「若造」と呼ばれていた頃にレンズを当てよう。
管理職への昇進は「罰ゲーム」ではない
西暦でいうと1990年代から2000年代前半あたり。浮かび上がってきたのは、この時代に就職し“若手”をやっていた人たちにとって、管理職への昇進が、昨今よく言われるような「罰ゲーム」ではなく、「名誉と報酬」だったということ。まさに「静かに退職しない若者たち」の姿がそこにあった。
なお、皆さんはよく昔の日本社会を描写するとき「昭和と比べて」といった言い方をするが、よく聞いてみると「昭和」ではなく「平成初期」あるいは「平成中期」を念頭に思い描いていることのほうが多い。
ざっくり捉えるなら1980年代までが「昭和」(1989年が平成元年)、1990年代が「平成初期」、2000年代が「平成中期」、2010年代が「平成後期」となる。そして2020年代からが「令和」と覚えてみよう(2019年が令和元年)。
よって、本稿で登場する「かつての若者」は昭和時代に幼少期を過ごし、平成前期に「子ども」から「若手」になった人たちを指す。

