宿題の最大の問題は「学習意欲」の効果
宿題の是非が語られるとき、しばしば「学力が上がるかどうか」が論点になる。しかし、教壇に立つひとりとして感じるのは、学習意欲そのものにどうプラスの作用があるのかということだ。
宿題は「やること」が前提となるため、その内容や意味が問われにくい。終わっても特別に評価されることは少なく、一方でやらなければ指摘される。
その結果、
・親子間の摩擦の原因になる
・教師が注意する理由になる
・達成より未達成が問題視される
といった「減点」対象の材料となりがちだ。
そうなると、宿題は「学び」よりも「未提出を避ける行動」として捉えられることもある。にもかかわらず、「宿題のメリットは何か」と問うと、明確な答えは出にくい。残るのは、「言われたことをやる力」という説明である。
「宿題」という言葉が抱える曖昧さ
この構造を支えているのが、「宿題」という言葉そのものの曖昧さである。
本来、家庭での学習にはさまざまな形がある。復習、探究、読書、観察、生活の中での学び。しかし、それらはすべて「宿題」という一語でまとめられることが多い。
その結果、
・学習内容の質が問われにくくなる
・「出すこと」自体が目的化する
・子どもにとっては作業として固定化される
という状況が生まれる。
文部科学省の論点整理では、「宿題」という言葉は前面に出ず、「家庭学習の内容を自律的に決められるような段階的指導」と表現されている。
ここでは、
教師が決める → 子どもが従う
ではなく、
子どもが決める → 教師が支える
という構造が前提となっている。
学びの主語が移行しつつあることがうかがえる。

