「一律課題」はなぜ機能しにくいか

もう一つの問題は、「全員に同じ課題」という前提である。

子どもの理解度、興味関心、家庭環境は大きく異なる。同じ課題であっても、ある子にとっては簡単すぎ、別の子にとっては難しすぎるということが起こる。

また、家庭環境によって学習の意味は大きく変わる。支援の有無、学習環境の違いは無視できない。

こうした条件の違いを前提とすれば、「全員同じ課題」で最適な学習効果を得ることは難しい。それでもこの形が続いているのは、個別最適な設計や評価を行うには、現場の負担が大きいという事情もある。

つまり、一律の宿題は、子どもにとって最適だからではなく、制度として維持しやすい形として残っている面がある。

一桁の掛け算の問題を解いている子供の手元
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国際的に重視される「自己調整学習」

近年、国際的には学習観そのものが変化している。

OECDの学力調査でも、知識の量だけでなく、自分で学習を調整する力、いわゆる「自己調整学習」の重要性が指摘されている。

この観点から見ると、「何をやるかが決められている学習」は、自ら学びを設計する機会を制限する可能性がある。

宿題は、自立を育てるものとして語られることが多いが、見方によっては「自分で考えなくてよい構造」として機能している側面もある。

探究学習との接続という観点から

近年、学校教育では「探究的な学び」の重要性が強調されている。自分で問いを立て、情報を集め、考え、表現する。こうした学びは、あらかじめ内容が決められている課題とは性質が異なる。

この観点から見ると、「全員が同じ内容に取り組む一律の宿題」は、探究的な学びとは構造的に接続しにくい面がある。

探究では、何を学ぶか、どのように学ぶかを自分で選択することが前提となる。

一方で、一律の宿題は「与えられた内容を確実にこなすこと」に重きが置かれる。どちらも学習ではあるが、その前提となる力は同じではない。

今後、探究的な学びが中心となっていくとすれば、家庭学習のあり方についても、その接続の視点から見直される必要があるのかもしれない。