日本に水道が普及したきっかけ
日本最初の近代水道が横浜に敷設されたのは1887年、以後函館・長崎・大阪・東京・神戸など三府五港がこれに続いた。
当時既に、コレラは汚染された飲み水から感染することは明らかになっていた。ならば清潔な水を届ける仕組みを作るしかない、その結論が、近代水道だった。ドラマの舞台である1882年のコレラ流行の5年後、横浜に日本初の近代水道が通水する。東京への通水は1898年。疫病が、都市インフラを作ったというわけだ(松本洋幸「近代日本における水道設備過程の歴史的研究」)。
ところが、大都市圏では早くから水道が普及したものの、地方では整備が遅れた。
理由は、そんな予算が潤沢な自治体がなかったからだ。さまざまな地方の図書館には水道事業の成り立ちを記した資料が所蔵されているが、予算がなくて反対が相次ぎ、中央から派遣されてきた県知事が半ば強引に実現させている事例も多い。中央から各地に派遣される役人にしてみれば、地方転勤は伝染病にかかる恐怖をともなうものだったのだ。
栃木県でも、やはり水道の敷設は揉めまくっていて、1916年にようやく宇都宮市に上水道が敷設されている。しかし、この時に、関係者に金杯銀杯を贈って表彰したことや、関係職員に賞与を支給したところ、これが市費の不正な利用だと大問題になっている(栃木県史編さん委員会『栃木県史 通史編 6(近現代 1)』栃木県1982年)。
コレラが来て、壁土を飲んで、水道を作って、汚職が起きた。これが明治から大正にかけての、日本の近代化というものである。りんたちが看護師を目指したのは、そういう時代だった。
前列右より二人目が大関和。1888年10月26日の卒業記念の撮影と推定(写真=佐波亘『植村正久と其の時代 第5巻』(1938年9月28日発行)/PD-Japan-oldphoto/Wikimedia Commons)

