致死率60~70%、全国で10万人近くが死亡
さて、ドラマの舞台である栃木県では1879年以降、コレラの流行が本格化している。栃木郷土史編纂委員会編『栃木郷土史』(栃木市、1952年)では、当時の状況をこう記している。
明治12年初夏以来、栃木町にコレラが流行し、町民を恐怖のどん底に陥れた。このために類似の症状を呈するものもあったといわれ、凄惨を極めた。鍋島県令は県立病院を督励して防疫に当たらしめたが、死者既に100名を越え、停止するところを知らぬ状態であった。
医療の整っていない当時、この流行は全国に拡大。致死率は60〜70%、全国で10万人近くが死亡したというから、りんの住む那須もドラマ以上のパニックになっていたことは想像に難くない(島根県古代文化センター「第19話 明治19年のコレラと隔離生活」)。
ところが、である。栃木県では、この流行をとんでもない治療法で終わらせたと『栃木郷土史』と書いてある。引用してみよう。
当時元幕府侍医の学頭たりし町田大備が栃木にあったので、県は特に協力するよう懇請した。さいわい彼は文政の頃、江戸に流行を極めたコレラを、幕命により絶滅した経験があったので、東壁土を主剤とせる自制の回生散を投薬したところ、治療するもの漸く多く、遂に流行のあとを絶った。
理にかなっていた「壁の土を飲ませる」治療法
……東壁土、つまり壁の土、である。家の東側の壁を削って、それを薬にして飲ませたのである。現代医学的に言えば、効くわけがない。コレラ菌は経口補水と抗菌薬で治療するものであって、壁土に治療効果があるという根拠はどこにもない。
だが栃木のコレラは収まった。なぜ収まったのかはわからない。流行が自然に終息したタイミングと重なっただけかもしれない。あるいは「名医が来た」という安心感が、パニックを抑えたのかもしれない。
さすがに1952年の出版物である『栃木郷土史』の執筆者も「そんなわけないだろ?」とつっこまれると思ったのだろうか、この文章の後には、こんな説明が書いてある。
200年経った土蔵の壁土は田畑の肥料として特効があり、三百年後の土蔵の東壁土は悪疫を治すといわれているが、医薬追送の絶えた戦場の僻地にあっては、コレラ患者には蒸留水を注射するほか、軟質木材を焼いて炭とし、その粉末を飲用せしめ、治癒せしめた例が少なくない。
これ、めちゃくちゃな治療法に見えるが、実は理にかなっている。「軟質木材を焼いて炭とし、その粉末を飲用」というのは、現代医学でいう「活性炭(薬用炭)」である。活性炭は毒物や有害物質を腸内で吸着する作用があり、今でも救急医療の現場で使われる治療法だ。コレラによる腸内の毒素を吸着するという意味で、当時の経験的な知恵は、理屈の上では間違っていなかった。

