NHK連続テレビ小説「風、薫る」が始まった。第1週では栃木の村でコレラが流行し、パニックに陥る様子が描かれている。致死率の高い疫病に、当時の人々はどのように対応していたのか。ルポライターの昼間たかしさんが、文献などを基に史実に迫る――。
シニアの手を取る医療従事者の手
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“とんでもなく危険な流行病”だった「コレラ」

今週から始まった新たなNHKの朝ドラ、連続テレビ小説「風、薫る」。見上愛と上坂樹里がW主演を務める物語は、明治時代が舞台だ。トレインドナースと呼ばれる、正規の訓練を受けた看護師・大関和さんと鈴木雅さんをモチーフとして描く「バディドラマ」というふれ込みである。

その第一週目は、1882年、元家老の娘である一ノ瀬りん(見上愛)の暮らす栃木・那須の村から始まった。人物紹介を兼ねた第1回を経て、物語はコレラの流行という一大事に。未来の看護師の手腕がここでも発揮されるのか?

さて、ここでまず注目したいのは、ドラマの最初の事件となっているコレラの流行だ。数年前、新型コロナウイルスの感染拡大による世界的な騒動を体験した我々だが、明治のコレラ流行はその比ではない。

医療も発達していなかった当時において、コレラはとんでもなく危険な流行病であった。

そもそも、なぜ日本にコレラが来たのか。話は開国まで遡る。江戸時代、日本は鎖国していた。外国船は来るな、外国人も来るな、である。それでも、コレラは来た。もともとはインドで流行していたというコレラは、江戸時代後期にはオランダや清との貿易船を通じて日本に上陸。そして、ペリーの来航後、日本が開港すると、さらに大規模に流行するようになった。

西南戦争がきっかけで起きた“流行”

そんなコレラは、当初「虎狼痢(コロリ)」と呼ばれていた。かかったら早ければ数時間で死ぬ。ころっと逝くからコロリというわけだ。ダジャレをいっている場合じゃない危機なのだが、洒落にならない恐怖ゆえに、洒落で表現するしかなかったというわけだ。

さすがにまずいと思った明治政府は、検疫制度を作ることにした。外国船が港に入るとき、感染者がいないか確認してから上陸させる、という仕組みである。

ところが、コレラが大流行したのは、外国船よりも国内でのコレラ菌の「配送」であった。

1877年、西南戦争が勃発。明治政府は全国から兵士を召集し、九州の戦場へ送り込んだ。ところがこの当時、戦場となった九州では、長崎を中心にコレラが大流行していた。結果はどうなったか?

戦争を終えた兵士たちが、帰還する先にコレラを持ち込んだのである。敵を倒しに行った兵士たちが、敵よりはるかに恐ろしいものを土産に持って帰ってきたのだ(市川智生「明治日本の海港検疫〜水際作戦の歴史〜」『Ocean Newsletter』笹川平和財団海洋政策研究所)。

以降、日本ではコレラが何度も流行することになる。